お互い、がんばろうね
また1カ月近くも空いてしまった。
久しぶりに原稿のリライティングの仕事をしていて、三人の俳優に関する資料を読むのに時間が取られてしまっている。とても、好きな本を読んでいるどころではない。
そんなときに、どうしても書き留めておきたいことがある。
それは「太田裕美コンサート~まごころ大感謝祭」だ。なんと45周年記念である。
(これは行くしかないかな……)
そう思って、彼女の事務所に電話したが、留守番電話になっていた。
仕方なく、彼女に手紙を書いた。コンサートに行きたい、と。
そして、彼女の写真を撮っていたカメラマンに電話した。
「久しぶりです。裕美のコンサート、行かれるでしょ?」
帰ってきた答えに驚いた。
「癌でね。それどころじゃないんだよ」
弱々しい声だ。消え入りそうな声とは、まさにこのことをいうのだろう。
口にする言葉が見つからず「大丈夫ですか?」とバカな問いかけをしてしまった。
「もうつらくて……死んだ方がましだよ……早く死にたいんだ……」
どう返したらいいのか、言葉が出てこなかった。
翌日、太田裕美からメールが来た。9月29日のこと。
〝私はご存知の通りですが、結構元気です。コンサートは11/24(日)18:00開演 東京国際フォーラムCです。お席用意しておきます。どなたかといらっしゃいます?〟
そのあとにカメラマンの名前が書いてあった。
すぐに、彼女に返信メールを打つ。
彼女自身も乳がんで、それを発表したばかりだったのだ。
すぐにカメラマンを気遣うメールが返ってきた。
一緒に行こうとしていた人間も、行く先でステージに立つ人間も、期せずして「がん」である。
カメラマンに電話をしたが、つながらない。留守番電話に吹き込むと、しばらくしてからショートメールが届いた。
〝しゃべるのが辛い 立つのもキツイ ここにさんにちは余り良くないんだよ すまない〟
これが10月1日。
それからは、電話に出ることもなく、留守番電話にメッセージを残してもノーアンサー。
10月16日。家のそばにいる、と電話してみたが、出ないのでショートメールを送る。何の返事もない。
その夜、ショートメールが届いた。
〝入院中なんだ 申し訳ない〟
10月23日。カメラマンは還らぬ人となった。
裕美にすぐメールで伝えた。葬儀は29日になる、と。
田園調布で待ち合わせをして、中高の同級生である小林和行君の車で葬儀場へ向かった。
太田裕美のお花が祭壇に飾られていた。
寂しい葬儀だった。
太田裕美の本「まごころ」と「背中合わせのランデブー」2冊の本を出した当時の出版社の社長も列席していた。
社長は、カメラマンと高校、大学の同級生だったのだ。
だから、太田裕美の本を作るとき、
「梶原、カメラマンはこいつを使ってやってくれ」
と念押しされて、三人が出会うことになる。
1976年のことだ。
最初の出会いから、43年の月日が流れた。
それぞれに、それぞれの思い出があるだろう。
久しぶりに会ったカメラマン。
映画だったら撮り直すことができるのに、時間は戻らない……。
久しぶりに会ったミュージシャン。
病をおしてのステージ。時間が逆戻りしているようだった……。
涙もろくなっている。
体の衰えを感じる。
元気でいたい、と思う。
そばにいる人に、元気でいてほしい、と願う。
楽しみがまだまだあると……。
「50周年記念コンサートに行けるかな」と言ったら、
「お互い、がんばろうね」とほほ笑んだ。
さよならだけが人生だ。
そう言えるのが、生きている証でもある。