ひとりぼっちのハワイ2日間。1977年のことだ。楽しい思い出はひとつもなかった、とずっと思い込んでいた。
ところが、1987年に発売された、片岡義男「頬よせてホノルル」を読んだとき、その思い出が楽しいものに変わった。その中のひとつの短編「ラハイナの赤い薔薇」に、次の文章を見つけたからだ。引用する。
記憶が正しければ、あのとき、このレストランで朝ごはんを食べた。ひとりぼっちで寂しい朝食だったけど、片岡義男が「二杯めこそ、真のウールワースのコーヒー」と書いているように、コーヒーのお代わりをしたことだけはよく覚えている。
2日目の朝で、その日の深夜にはグッバイ・ホノルルだった。
朝食を食べたことで元気がでたのだろう。夜まで、ワイキキの浜辺と街を歩き回った。寂しさに変わりはなかったが、少しだけホノルルの光と風を感じられた一日だった。
1978年の夏休みには、仕事仲間と4泊6日のツアーで、ハワイ再訪。アラモアナ、ハナウマベイ、ノースショア……お上りさん状態だったけど、楽しいハワイを見つけた。
あれから四十余年、毎年のようにハワイを訪れている。
ウールワースのレストランは、だいぶ前になくなっているけど、自分なりのハワイを楽しんでいる。
「頬よせてホノルル」は、ハワイを舞台にした5つのストーリーで構成されている。一人称の「ぼく」が主人公の物語で、クリスマスがひとつのキーワードになっている。
小説に登場する5人の「ぼく」には、どこか共通した心情が流れていると、読み進めていくうちに気づく。
故郷の島、ハワイは「ぼく」を優しく、暖かく迎えてくれる。片岡義男しか書けない「個人のハワイ」は、物語が終わったあとも、しばらく余韻を楽しませてくれた。
著者が「あとがき」で書いているように、著者にとってハワイがいちばんいい場所で、ハワイにいるときの幸福感のようなものが物語にいい形で作用してほしい、という思いがあるからだろう。
片岡義男がハワイを舞台にした小説「白い波の荒野へ」でデビューしたのは、1974年のこと。この主人公も、漢字だが「僕」である。
本棚にある、ハワイを舞台にした小説の主人公は、必ず「僕」だ。
2000年3月に発売された「ラハイナまで来た理由」(同文書院刊)もそうだ。ここにある28のショートストーリーにも、素敵な「個人のハワイ」が見つけられる。
ハワイを舞台にした、日本の作家が書いた小説はいくつもあるけど、このような「個人のハワイ」があふれているものは読んだことがない。
喜多嶋隆のCFギャングシリーズやブラディ・マリーシリーズ、東理夫の「ワイキキ探偵事務所」シリーズ、どちらも大好きな小説だが、主人公は「ぼく」ではない。描くハワイが微妙にちがう。
片岡義男は小説家としてデビューする前、テディ片岡の筆名で文章を書いていた。
1971年のころ、大学生のときにアルバイトをしていたタウン誌「ドロップイン伊勢佐木」があって、そこに毎月ショートショートを連載していたのを思い出す。その雑誌は本棚に一冊もないが、できることなら読み返してみたい。
ちなみに、ハワイを漢字で書くと「布哇」だそうだが、ハワイを漢音で「ホ・アイ」と読むからだという。なんだか、ピンとこない。日本にある地名「羽合」のほうがまだいいような気がする。
ホノルルは「花瑠瑠」だそうだが、ワイキキの漢字はまだないみたいだ。「和居喜々」とか「環井嬉々」とか、考えてみるのも楽しい。
[BOOK DATA]
「頬よせてホノルル」
作者:片岡義男
単行本:書き下ろし(新潮社1987年12月5日)