秘伝 大道棋

詰みそうで詰まない――これこそ、まさに化(ななばけ)だ。

本棚に、なんとも不思議なタイトルの本があった――「秘伝 大道棋」。このタイトルだけで何の本かわかる人は、かなりの将棋好きだろう。

本の奥付を見ると、平成2年7月30日 第1刷発行、平成4年4月11日 第5刷発行、とある。平成4年、つまり1992年以降に買った本だ。

大道棋とは、大道でやる詰将棋のことである。お客さんに詰将棋を出題して、解けたら景品を与え、間違ったら「教授料」をいただくという商売。

この本の「まえがき」にはこう書かれている。

“大道棋は客を楽しませつつ金を稼がなくてはならない。この徹底したリアリズムが、人の心理の裏を突く騙(だま)しの秘術を生んだ。”

簡単に詰みそうに見えて、実際には一筋縄ではいかないのが大道詰将棋だ。本書の最初に出題されている「香歩問題」を見てください。

本では、7三の「と」が「金」になっているが、一見すると、「8九香」で5手詰めの簡単な問題に見える。

このシンプルな、誰が見ても、一目詰む形こそ、大道詰将棋のパターン。

初手の王手は、歩か香か、どちらかしかないが、歩では9二玉と逃げられてしまう。そこで、初手は「香は下段から打て」の格言通り、8九香。これなら8二歩と合い駒しても、同香成で詰み。

ところが、8九香にはアッと驚く合い駒がある。8三銀合い、だ。

王手するには、同香か8二歩かだが、同香では9二玉と逃げられてしまう。となると、8二歩。ここで9二玉なら、9三香成で詰む。

9一玉と横に逃げるので、9二歩で8三香成が決まると思うと、9二歩を同銀と払われ、また詰まない。

詰みそうで詰まない――これこそ、まさに七変化(ななばけ)だ。

となると、次の王手は、8一歩成しかない、これも同銀の一手。

8一香成、同玉、8二銀で詰んだと思ったら、9二玉と上がられ、9三歩は打ち歩詰めの禁じ手。

そこで再び、9二歩。同銀なら8二香成で詰みなので、同玉と歩を払う。すかさず、8三香成、9一玉と進んで、やっと詰みが見える。

再度、9二歩、同銀、8二成香。なんと15手詰めだ。

将棋を知らない人にはチンプンカンプンの話で恐縮だが、これがもっともやさしい問題で、本書には「銀問題」「双玉問題」「金問題」と30問以上の大道詰将棋が載っている。

この大道詰将棋は多くの場合、お客の中にサクラがいる。一人ではなく、二人のサクラがいて、客に手を出させるように仕向けていく。

大学時代、野毛で大道詰将棋に一度だけ遭遇したことがあるが、まさにこのサクラ二人のパターンだった。

詰んだ、と思うと、巧妙な受けがあって詰まない。三回ほど指したが、どれも詰まなかった。

最後に、人払いをして、詰み手順を見せられたが、いまいち納得できずにいると、料金が書かれた札を見せられた。

一回千円だと思っていたら、そこにはこう書かれていた。

「一手千円」

十何手は指しただろうから、一万円以上になる。

さっと、千円を置くと、一目散に逃げた。桜木町まで走れば交番がある。追ってこなかったのが幸いだったが、すごく怖かったのをいまでも覚えている。

ちなみに、「詰」という漢字には、「めでたい」ことを表す「吉」があるのに、部首の「言」がつくと、「ことばで厳しく問いただす」というような意味になってしまう。

将棋では、王将の逃げ道がなくなれば「詰む」ことになる。詰めばめでたいのは勝者だが、敗者は敗因を自らに「厳しく問いただす」しかない。

[BOOK DATA]

「秘伝 大道棋」
作者:湯川博士
単行本:毎日コミュニケーションズ(平成2年7月30日 第1刷発行)