一冊の本と出合って、その作家が今まで以上に気になりだすことがある。今野敏という作家の「隠蔽捜査(いんぺいそうさ)」という本がそうだ。
手元にあるのは文庫本で、奥付には平成20(2008)年2月1日発行とある。
それまでにも今野敏の小説は何冊も読んでいるが、ここ十年ちょっとのあいだで、この作家の既刊本を手当たり次第に読んだ。好きな作品もあれば、そうでないものもある。
この「隠蔽捜査」シリーズ以外では、横浜みなとみらい署シリーズと任侠シリーズが特に好きだ。
「隠蔽捜査」は、警察庁のキャリア官僚が主人公の物語である。
警察キャリア官僚について調べてみると、この小説の面白さが倍増する。
そもそも警察官は大別すると、警察庁で働く国家公務員、そして各都道府県警察で働く地方公務員の2種類である。
その中で、警察キャリア官僚というのは、他の省庁と同様、国家公務員試験の総合職試験、上級甲種試験またはI種試験(旧外務I種を含む)などに合格し、幹部候補生として警察庁に採用された国家公務員のことをいう。
主人公の竜崎伸也は、警察庁長官官房の総務課長。東大法学部卒。四十六歳で、一男一女の父。
妻には「俺は国のことを考える。おまえは家のことを考えてくれ」というのが常だ。
しかも「東大以外は大学でない」と、有名私立大学に合格した息子に浪人までさせてしまう。
どうにも鼻持ちならない男に思えてしまう竜崎だが、話が進むうちに彼の考え方のユニークさに気づいていく。ここが、この小説の面白いところのひとつでもある。
物語のもうひとつの柱は、小学校の同級生である、警視庁刑事部長の伊丹俊太郎との関係。彼は同期入庁22人の中で唯一の私大卒だが、いまの階級は二人とも警視長。
竜崎は小学校時代、伊丹たちのグループにいじめにあっていたことが忘れられないでいるが、伊丹にはいじめたおぼえがまったくない。そのことを気にしているのは竜崎だけだ。まわりはだれもが、幼なじみだから仲がいいと思っている。
「あなたが思っているよりずっといいコンビだと思うわよ」と決めつける妻に、伊丹から「変人」扱いされていると言うと、妻は笑いながら、
「だって、あなた変人ですもの。きっと誰もが思っていることよ。伊丹さんだから、直接本人に言ってくれるのよ」
竜崎本人は、あくまでも原理原則を重んじ、正論を貫く。常に、本音しか言わないのだが、相手にはなかなか理解されない。そのギャップもおもしろさのひとつになっている。
変人で正論を貫く竜崎伸也という人物設定が、これまでの警察小説にはない魅力を生み出している。
連続殺人事件に現役の警察官が関わっているとの疑念を抱く竜崎と、警察を守るためなら何でもやるという伊丹。
同時に、竜崎は息子が薬物を使用していることを知り、ひとり悩む……。
読む進めていくうちに、タイトルの「隠蔽捜査」がまさに言いえている、とわかってくるだろう。
400ページ近くの長編だが、テンポのよい語り口で、一気に再読した。
現在まで、隠蔽捜査シリーズは7作の単行本が発売されているが、このシリーズのよさについて、推理作家の大沢在昌はこう語っている。
その通りだと思う。しかも、家族の問題をも上手に取り込んでいる家族小説でもある。
第2作から第7作までは、大森署の署長に左遷されてからの物語が続いていく。どれも再読したい小説である。
ちなみに「隠蔽」の意味をネットで調べると、「ある物を他の物で覆い隠すこと。見られては都合の悪い物事を隠すこと」とある。
それにしても「蔽」という漢字は難しい。音読みは「ヘイ」、訓読みは「おお(う)・おお(い)・さだ(める)・くら(い)」。
形成文字。艸+音符敝(ヘイ)から成る。草がおおいかぶさる、ひいて「おおう」意を表す。[出典「角川新字源 改定新版」(KADOKAWA)]
[BOOK DATA]
「隠蔽捜査」
作者:今野 敏
単行本:新潮社2005年9月
文庫本:新潮社2008年2月1日発行