置き去りの街

ケリをつけたいんです。十年間のケリを……。

この小説を読んだことがある人は、そんなに多くないと思う。

カッパ・ノベルスの一冊で、奥付を見ると、1999年8月25日。平成で言うと11年。

著者、本間香一郎のデビュー作である。略歴を見ると、1940年京都生まれ。京都大学農学部卒。

彼はその後、2000年5月1日「捨てたはずの街」(カッパ・ノベルス)、2001年10月1日「弔い屋 」(ノン・ノベル) 、2002年5月1日「逝く街の片隅で」(カッパ・ノベルス)と、書き下ろし小説を発売していく。

そして、この4冊で、作家としての人生を閉じてしまう。その後の消息はわからない。

「置き去りの街」は、京都を舞台にしたハードボイルド小説である。

なぜ、本書を買ったのか。記憶は定かではないが、思い当たることはひとつだけだ。

盟友である作家の吉村達也氏が「京都魔界伝説の女」という小説を同じカッパ・ノベルスから上梓したこともあり、同時期に彼が京都に移住したことも重なっていて、京都を舞台にしたこの小説を手にしたのだと思う。

帯に“北方謙三推賞!「大きな可能性を示した処女作」”とあったことも、手にした理由である。

袖にある「著者のことば」にも魅かれた。全文引用する。

“京都はけったいな街である。観光客には見せることのない、得体の知れない裏の顔を持っている。たかが茶の飲み方を講釈する親方が、平気で政財界を動かしたりする街なのだ。以前に新聞が「白足袋・影の権力者」と題して、京都の茶人や花街、室町の旦那衆、坊主などをルポしたのを読んだ。時代から置き去りにされようとしている街のあがきと、それに気づきもしない白足袋群のルポだった。そしてこの街には、その白足袋にぶら下がっている連中も多い。そんな、置き去りになっている街に住む、置き去りの男たちを書いてみたかった。”

ここでいう「白足袋・影の権力者」のルポとは、1994年11月に発売された、読売新聞京都総局の「京都 影の権力者たち」(講談社刊)だろう。こちらは読んでいないが、この著者のことばで、すぐに「読みたい」と思った。

主人公は、元ボクサーの八代。大学を出てプロに転向し、西日本の新人王を獲り、一年で全日本のチャンプになった。

ジムのオーナー笠原は、日本生まれの韓国人であり、暴力団笠原組の組長でもあった。その一人娘の美子には韓国人の恋人がいたが、八代は彼女に横恋慕する笠原組の幹部を撲殺した。

七年間の刑期を終えて、矢代は出所。京都でラーメンの屋台をひいて、三年間が過ぎたとき、八代の前に見知らぬ男が現れ、朝鮮訛りで「八代さん、いくらなら売ってくれる」と切り出すが、八代には売るものなど何もない。

その深夜、八代は暴漢に襲われただけでなく、家探しされ、部屋が荒らされた。
そして、極めつけは「助けて」という美子からの突然の電話。だが、ホテルへ駆けつけると、彼女は消えていた。

北も南も、警察までもが、八代がブツを持っていると思っているらしい。

美子が殺されたと知った八代は、犯人とブツの行方を追い始める。

八代は裏稼業の仲間たちの力を借りながら、ヤクザと警察、北朝鮮と韓国の工作員が複雑にからみあった闇の戦いに挑んでいく。十年間のケリをつけるために……。

まさに、本書を推賞している北方謙三が描きそうな、ハードボイルドの世界である。

ハードボイルドとは何か――。

もともとハードボイルド(hard-boiled)とは(卵の)固ゆでの意で、転じて、冷酷なこと、非情なことの意。

「デジタル大辞泉」(小学館)によれば、

第一次大戦後に、アメリカ文学に登場した新しい写実主義の手法。簡潔な文体で現実をスピーディーに描くのが特徴。ヘミングウェイらに始まる。

推理小説の一ジャンル。行動的な私立探偵を主人公に、謎解きよりも登場人物の人間的側面を描く。ハメット、チャンドラーなどが代表。

ということである。

作家の矢作俊彦はこう語っている。

“僕の小説はハードボイルドと言われましたが、僕にとってハードボイルドとは「街をさまよいながら人々にインタビューするホラ話」です。”

矢作俊彦の、この定義がいい。

本間香一郎の小説が必ずしもそうだと言うのではないが、59歳でデビューして62歳で筆をおいた彼が京都を舞台にした小説を書き続けていったら、彼しか見つけられない街のホラ話がもっともっと読めたに違いないと思えてならない。残念である。

[BOOK DATA]

「置き去りの街」
作者:本間 香一郎
新書:1999年8月25日 初版1刷発行