16号線ワゴントレイル

二十代の終わりの変化には、
ガラッとコペルニクス的転回があった。

「16号線ワゴントレイル」は、自動車雑誌「NAVI」に1994年8月号から1995年8月号まで「ルート16でたまたまカマロ」と題して連載されたエッセイをまとめ加筆したものである。

著者は矢作俊彦。車の同乗者はカメラマンの横木安良夫。

単行本のサブタイトルに「あるいは靴を下げ東京湾を時計まわりに」とあるように、出版社としての売りは「横須賀から木更津まで国道16号線をめぐる自動車旅行記」だが、本書の面白さは単なる旅行記でないところにある。

巻頭の文章を引用する。

“言うだけ野暮な話だが、昔「ルート66」というアメリカのテレビ番組があって、私たちは毎週その時間を心待ちにしていた。

もちろん、「コンバット」や「逃亡者」とおなじくらいか、それ以上。

アメリカの古い街道であるルート66をシカゴからセントルイス、オクラホマシティ、アマリロ、アルバカーキ、ロサンジェルスと、二人の若者が、四つ目で鰓(えら)がついていたころのコ―ヴェットに乗り、旅を続けていく――ただそれしきの物語だった。

(中略)このドラマが私たちの許へ運んでくるものは、どこか〈特別〉だった。

当時、私を含めてこのドラマのファンだった少年は、それこそが〈アメリカ〉なのだと思っていた。”

このテレビドラマは1962年からNHK、その後フジテレビで放映された。矢作俊彦が小学校6年生のときから中学生にかけてだろう。確かに、当時の少年たちはこれを見てないと、学校で友だちとの会話についていけない。

この思いが今回の自動車旅行を実現させた理由のひとつだが、再読して気がついたことがある。

本書の面白さは「小説家以前の矢作俊彦」を知れるところにある、と。

本書では、16号線の起点を観音崎のレストハウス前としているが、これはおそらく勘違いしたのであろう。調べてみると、16号線の起点・終点は国道1号と交差する横浜市西区高島町の高島町交差点である。

単行本は、横須賀から出発して、木更津までの旅を四章に分けている。順番に見ていこう。

第一章「豚と軍艦」という章タイトルは、矢作俊彦が小学生のときに見た映画のタイトルである。著者の思いを引用する。

“ヨコスカのどぶ板通りと言えば、私に撮って「豚と軍艦」以外の何物でもない。少なくとも、山口百恵が〝急な坂道駆け上がっ〟て〝今も海が見えるでしょうか?〟と問うまで、私にとってこの町は春子と欣太(きんた)の青春そのものだった。”

そして、横浜・根岸の米軍住宅の思い出を振り返りながら、本牧を抜けて、元町トンネル。

“このあたりは、小学校時代の六年間、通いつめた私の通学路だった。”

コカ・コーラを売る菓子屋があり、ラムネの十倍以上の値段だったが、何人もで一本をちびちび分けて飲んだ。なぜ?

“それは、異国への第一歩だったのだ。他に意味があるとしたら、誰も知らない、親も飲んだことがないものを飲むという優越感、ただそれだけ。”

そして、小説家になった当時を振り返る。

“二十代の終わりの変化には、ガラッとコペルニクス的転回があった。何しろ、浮浪者から小説家になったのだから。(本が出るのが、あと数日遅かったら浮浪者ではなく餓死者になっていただろう。)”
“横浜のノースピアから相模原の補給廠(しょう)まで、国道16号線はそのころ間違いなく軍用道路だった。”
だから国道に面してジーンズショップが建ち、アンティックのアロハシャツ専門店が軒を連ね、帰国する米兵家族が残していった家具などの中古屋、コーヒー屋、深夜スナックなどがあったと語る。

第二章は「フェンスの中のヴェトナム」。東名高速をまたぐと、景色が一変する。米軍キャンプが点在する、横須賀-横浜-横田の国道16号に昔の面影はない。

第三章は「懐かしき未来」。

横田基地を後にして、16号線を少し走っていくと、中古屋があるはずだったが、姿かたちもない。

“コンテッサが飾られていたあのころまで、私はちょくちょく16号線をここらまでやってきたものだ。”

川越は鰻の名産地だが、それは三越に〈特別食堂〉があり、東京の寿司屋ではトロなど握らず、赤身だってズケで食べていた時代のことだという。

十九世紀初頭の創業という老舗の鰻屋が三軒も四軒もあるのに驚くが、伝統も歴史もない横浜の「若菜」の鰻丼には及ばないから悲しいね、と語る。

最後の第四章は「彼岸にて」。

“埼玉からチバへ、江戸川を渡るその橋は、だから字義どおり〈彼岸〉へと渡る結界(けっかい)の裂け目だ。”

千葉の16号線沿線には、ゴルフ場が一ダースも点在している、と嘆く。

横浜で生まれ育った矢作俊彦にとって、千葉県下のナンバープレートをつけた車の持ち主に不届き者が多いという。家の駐車場の真ん前に四六時中不法駐車する者がいるからだ。

出発点の対岸に立ったとき、矢作俊彦は語る。

“高速道路は、ある意味で、自動車道路より、幾分、スタートレックの瞬間移動装置に近い存在だ。それは、ただただそこを誰よりも速く、的確に走って向こうへの到着を競いたいという気分もあるにはある。

第三京浜が開通し、横羽線ができたばかりのころ、まだ十代だった私も、その気分で膨れ上がって車に乗り込んだものだった。しかし、それと自動車旅行とは、もとより異質のものだ。町から街へ、ドライヴインからドライヴインへ、言わばエンジン付きの旅烏、例のテレビドラマ「ルート66」に横溢(おういつ)していた行きつ戻りつの気分がどうしても欠かせない。”

高速道路網の発達がその気分を収奪しつつある、と締める。確かにその通りだろう。

私たちは、便利を手に入れる代わりに、いくつかの大事なものを失っている。若い人たちには、そのとりかえっこのバランスがいい人生を送ってほしい、と思う。

ルート16もいいけど、家の近くを走るルート134も捨てがたい魅力がある。

ルート134とは、横須賀から大磯町に至る一般国道。

湘南の海岸道路を一度、走ってみてください。

サザンの歌が似合うし、冬ならユーミンの歌でも聞きながら……。

杉山清貴&オメガトライブの「ROUTE 134」もいい。

ただ、夏は渋滞の道なので、早朝か深夜しか走れないかもしれないが……。

この沿線の住民たちの力を結集して、ルート134の気分を多くの人に伝えたい、と思う2019年の夏。

[BOOK DATA]

「16号線ワゴントレイル」
作者:矢作俊彦
初出:自動車雑誌「NAVI」1994年8月号~1995年8月号まで「ルート16でたまたまカマロ」と題して連載。
単行本:二玄社1996年4月30日 初版第一刷発行