いったい誰だったんです、
萩原さんのことをチクったのは?
「萩原です」
いきなりの電話だった。
誰だかわからず、返事に窮していると、電話の相手が言った。
「先ほど、打ち合わせをした萩原健一です」
事務所に帰ってきたばかりで、まさか、萩原健一さんから電話をもらうとは思いもよらなかった。
「どうされましたか?」
彼がなぜ電話をしてきたのか、見当がつかない。
――いま、自分が編集・構成を担当した本のことを書こうと思って、その本を探したのだが、どこにしまってしまったのか、本棚に見当たらない。
しかたなく、ノアズブックスのコラムで書いた原稿を加筆修正することにした。
その本とは、萩原健一の「俺の人生どっかおかしい」。
発売は1984年の1月だが、初めて萩原健一さんと会ったのは、1983年の初夏だったと思う。
僕がどういうポジショニングで打ち合わせに参加していたのかは、よく覚えていない。出版元のワニブックスから頼まれて、オブザーバー的な立場で打ち合わせに臨んだのだろう。
外部の編集スタッフがいて、彼らが本を作ることになっていたからだ。最初の打ち合わせだけ参加してくれればいい、という話だった。
その打ち合わせが終わり、事務所へ戻ったときに、電話でいきなり「萩原です……」と言われて……。
萩原さんは、僕が全面的に参加しないことを知っていたのかもしれないが、正直な気持ちを伝えてた。
「いま本屋さんでワニの本を見てきたんですが、僕の本もああいうイラストの表紙の本になるんですか?」
萩原さんは、ワニの本という新書の本を見て、自分の本もああいうものになってしまうのか、と心配されていたのだ。
正直、驚きましたね。なんで、僕に電話をしてきたのか、と。
ワニブックスの編集者もいたし、実際に作業をする外部の編集スタッフもいたのに……。
「心配ありませんよ。おそらく、萩原さんの写真をカバーに使うと思います」
そう伝えたのだけど、電話の向こうの萩原さんはなおも心配そうだった。役者というのは、これほど繊細なのか……。
まだ、何か話したそうな萩原さんに、
「何かあれば、僕がきちんとしますから」
と言うと、ほっとしたのでしょう。
「よろしくお願いします。失礼しました」
少しだけ明るい声に戻って、萩原さんが答えた。
この萩原さんの杞憂は、違った形で現実のものとなってしまった。
取材が終わり、原稿が上がってきたのだが、萩原さんがまったく気に入らない、と言っているらしい。
編集のHくんから電話をもらったのかな。ライターを変えたい、と。
「女性だけど、Tさんがいいんじゃないかな」
と伝えました。Tさんなら手練れているし、安心だ。
なぜか、自分で書く気にならなかった……。
ここからは、ノアズブックスのコラムを少し修正するだけで、そのまま掲載する。
★
……こんなことを公表していいかどうか、いま書きながらも迷っています。もう30年近く前のことだから、萩原さんも許してくれるでしょう。そう勝手に思い込んで、話を先へ進めます。
Tさんが書いた最初の原稿は、問題がなかったようです。
ところが、Tさんのほうからギブアップの宣言が……。
また、編集のHくんから電話です。
最初の打ち合わせに出ているし、萩原さんと電話でも約束していたので、とりあえず原稿に目を通してみる、ということになりました。
一読して、Hくんに、
「もういちど、取材させてほしい」
と言いました。
もっと突っ込んで話を聞かなければ、書けないと思ったからです。
萩原さんとふたりだけで、二度ほど話を聞かせていただきました。
高輪プリンスホテルの和室だったかな……。けっこう正直に、具体的にいろいろと話してくれました。
いざ書くということになって、最適の筆者に思い当たったのです。
何度か女性アイドルのものをお願いしたこともあって、実力のほどはわかっています。僕なんかより巧いし、何よりも読ませるものを作れる人です。
いまでは戦友とも言うべき友である彼に、お願いした原稿は、萩原さんもとても気に入ってくれました。
最後の読み合わせを高輪プリンスの和室で行なったのですが、すごく満足してくれたのを覚えています。
最後につい、甘えて訊きました。
「いったい誰だったんです、萩原さんのことをチクったのは?」
厳しい目をした萩原さんは、しばらく沈黙がつづきました。
いきなり、机をドンと叩くと、声を荒げて、ある人の名前を叫びました。そして――。
「あいつだけは絶対に許せねえ!」
もう時効ですから、こんなことまで書かせてもらいました。許してください、萩原さん。
カバーの写真を撮る日は、あいにくの大雪――。
南青山のスタジオで、ニコッと笑って、僕を迎えてくれた萩原さんの顔がいまでも思い出されます。
雪の中にたたずむ男、雪の中を歩く男……どれも様になっていました。さすが役者です。
★
33歳の萩原さん、34歳の私――。
萩原さんのことを「ショーケン」とは一度も呼ばなかった。
それがよかったのか、歳が近かったからなのか、原稿を気に入ってくれたからか……理由はわからないが、高輪プリンスの和室で、いろんな話をしたことが思い出される。
「本が出たら、飲みましょう」
会うチャンスが何度となくあったのに、とうとう実現できずに終わってしまった。
盟友の作家、吉村達也が世を去り、ふと当時を思い出したので、自分が編集・構成を担当した本のことを書いた。
ひとつの邂逅(かいこう)が人生を楽しくもさせるし、つらい思いを抱かせることもある。
お二人が出会うことはなかったが、私を媒介にして、お二人は確かに会話をしていた……。
今宵は、ロックで献杯。
お二人の冥福を祈る。
遺った者は、これ以上、語る言葉を持たない――。
[BOOK DATA]
「俺の人生どっかおかしい」
作者:萩原健一
単行本:ワニブックス1984年1月 初版発行