「実走着差」理論

『予想』を逆から読むと、

『うそよ』になるんだよ

吉富隆安は戦友である。

「富さん」「梶さん」と呼び合う仲でもある。

一時期、共に競馬を戦った。

彼の職業は、大井競馬場での公認予想屋。

いわゆる「場立ち」という、あらかじめ割り振られた場所に立って、自分が予想するレースの演説をする予想屋のこと。吉富さんのそれは、まさしく「演説」である。

日本経済新聞の競馬実況アナ日記から抜粋してみよう(2019年8月17日)。

 東京・大井競馬場のパドック横にずらりと並ぶ百戦錬磨の場立ち予想家のブース。一番端に位置する「ゲートイン」と書かれた場所には、いつも人だかりができている。大井競馬のカリスマ予想家、吉冨隆安氏。特に「痛快かつ爽快、そしてユーモア」あふれる口上は、時代が平成から令和へ変わっても、多くのファンを魅了し続けている。今回は吉冨氏の「口上」に迫る。

(中略)

「確かに周りからすれば、1人の男がおもしろおかしくあおって、予想を売っているように見えるかもしれない。しかし決して私はあおっているわけではなく、共に勝利をつかもうと戦友を励ましているだけなのです。そのように互いに鼓舞し合っているのがあの場所であり、だから特殊な世界なのです」

話す言葉の表現一つ一つ、そして言葉の力強さからは吉冨節の神髄を感じた。

(中略)

どのようにしてプレッシャーを乗り越えてきたのかと尋ねると「自分の理論が正しいという、根拠があるからです」とこれまでにないぐらい強い答えが返ってきた。

「実走着差理論は計算方法さえ間違えていなければ当たるときはとことん当たります。魚の入れ食いのように、3連複が1日パーフェクトで当たることだって1年に何回かはある。これはゴルフで例えるならばホールインワンを何回も連続で出すようなものであり、偶然やまぐれでは絶対起こらないはずなんですよ」。

数え切れない敗戦を重ねてアップデートし続けてきた「実走着差理論」。勝利することは、偶然ではなく必然なのである。

競馬理論に関する熱い話が落ち着くと、最後に吉冨氏は穏やかな口調でこう語った。

「いつも来てくださる常連の方はもちろんですけど、若いカップルや家族連れなど、初めて競馬場に来たような人が自分の予想を聞いていると、より燃えますね。なんとか当ててあげて、帰りにいつもよりおいしいものを食べて、『良い日だったなぁ』と思ってほしいですから。それが私のできる社会貢献です」

(後略)

(ラジオNIKKEIアナウンサー 小屋敷彰吾)

長い引用になってしまったが、吉富節のことが上手に語られている。

彼と知り合ったのは、2004年の暮れ。ワニブックスから出版の企画があり、編集・構成を頼まれたからだ。いわゆる、ゴーストライターである。

大井競馬場で「場立ち」を見た後、麻布のバーで2時間ほど話をした。彼は出版に乗り気ではない。その場では結論も出ずに、後日、二人で会う約束だけした。

「本になるならいいよ」

吉富隆安からOKが出るのに、そう時間はかからなかった。取材は、彼の部屋でおこなう。

取材とは関係ない日でも、時間があれば大井競馬場へ通った。

吉富隆安の演説は、いつ聞いても、聞きほれてしまう。もちろん、全レース的中するわけではないが、予想にブレがないのだ。それが「実走着差」理論のすごさでもある。

何度も酒を酌み交わす仲になり、取材も重ねていく。

私より2歳年上であるが、友達のようになっていった。彼との出会いは、彼が言うようにまさしく「邂逅(かいこう)」である。

「実走着差」理論の基本は、走った距離とペース配分である。詳しくは書かないが、競馬で内と外を走る馬ではコーナーを回るごとに、外にいる馬の方が長い距離を走ることになってしまう。競馬場のコースを1周すると、4つのコーナーがあるわけだから、内と外の距離差はかなりになる。

レースのタイム差を馬身差に換算する。最初のコーナーでの位置取りを馬身差に換算する。そして、ペース負荷を馬身差に反映する。

まるで数学である。

文科系の私には苦手な分野だったが、理論的であることはよくわかった。いま読み返してみると、消化不良のところが随所に見受けられる。恥ずかしい限りだ。

彼の理論について、少しだけ本文より引用する。

〝予想のプロセスはこうだ。近走の中で、優位のレースはどれか。まず、過去のレースに優劣をつける。その中で、もっとも能力が高い馬はどれか。今度は、馬同士の優劣だ。この比較検討ができたところで、レース展開などを考えればいい。能力をつけたうえに、たとえば「この馬は逃げられるのか」と考えるわけだ。これしかない。最初に展開から考えるなんて、ありえないことだ。くそ弱い逃げ馬は、ハナも切れないだろう。競馬の予想は、能力の抜けている馬を見つけられるかどうか、だ。
私の「実走着差」理論とは、かなり数学的な予想理論である。予想屋はつきつめれば、分析し、語り、勝負するものである。それ故、自賛を許されるならば、予想屋は「数学者であり、文学者であり、哲学者である」と言えるかもしれない。〟

長々と予想のことばかり書いてきたが、吉富隆安が戦友だと言えるのはある時期、実際に「ネット予想」を有料で開始したからでもある。この話を書くと、また一冊の本ができるかもしれない。

途中、私は腹部大動脈瘤で数か月、離脱してしまう。これが今なお残念でならない。

このネット予想で共に戦った後輩が一人いる。彼は三年前に他界した。それ以後、私は一度も馬券を買っていない。富さんとも盃を酌み交わしていない。

競馬は、中央競馬の有馬記念が最終ではない。大井競馬の東京大賞典がある。暮れも正月も、地方競馬は休むことがない。

だが、令和元年の有馬記念も東京大賞典も、馬券を買うことはない。

それなのに、この時期になると、富さんのことを思い出す。

もし大井競馬場へ行く機会があるなら、彼のブース「ゲートイン」を訪ねてみてほしい。演説を聞いてほしい。もちろん、私の名前を出したところで、必ず当たる馬券を教えてくれるわけではないが……

「いつか全国の競馬場を旅打ちして回ろう」

富さんとの約束だけが、心の奥底にあり続ける――。

[BOOK DATA]

「実走着差」理論
吉富隆安
単行本:ワニブックス200551日 初版発行