ニッポン放送を買えば
フジテレビが支配できる……
2020年の年が明けて、初めて買った本である。
四六判ハードカバー、本文552ページの分厚い本だ。横になって読むのには適していない。こたつに入りながら、2日間で読了。
作者の中川一徳は、14年前に「メディアの支配者」という本を上梓している。この本は、それの続編ともいうべき一冊。
帯にあるキャッチコピーはこうだ。
フジテレビとテレビ朝日
二つのテレビ局が生み出す「カネ」と「利権」に
群がった面々――
フジテレビとテレビ朝日の開局から現在まで、株による支配の変遷が事細かに書かれている。
プロローグに「フジテレビには事実上、鹿内家と赤尾家、二つのオーナー家が存在していた」と書かれているが、この両家が本書の主人公である。
株式の保有を本文から引用してみる。
赤尾家は、家業の旺文社が過半数の株式を握るラジオ局、文化放送を通じてフジテレビ株31.8%を保有していた。(中略)
これに対し、鹿内家は、フジテレビ株51%を握る親会社・ニッポン放送の筆頭株主である。ゆえにフジテレビで経営権を行使してきた。だが、ニッポン放送での支配権は意外に脆弱で株13.1%を保有するに過ぎない。”
赤尾家は間接的にフジテレビ株を保有しているが、鹿内家は間接的にもフジテレビ株は保有していない。これが、両家の最大の違いである。
しかも、赤尾家は旺文社を通じて、テレビ朝日の株も21.4%保有していた。
1959年(昭和34年)ほぼ同時に開局したフジテレビ(8)とテレビ朝日(10)の二極が微妙に絡み合って、歴史が作られていく――。
本当によく取材されている。
登場人物の多さには戸惑ったが、テレビ朝日よりフジテレビのことに興味があった。前半は飛ばし読み。
前作「メディアの支配者」では、鹿内家のことが詳細に書かれていたが、本書はその後のことが書かれている。ここが読みたかったところだ。
1992年7月、フジサンケイグループでクーデターが勃発。これにより、鹿内体制は崩壊し、フジテレビ日枝久社長が力をつけていく。
このへんの経緯は前作に詳しいが、少しだけ書いておこう。
フジサンケイグループ議長である鹿内宏明が、羽佐間社長の産経新聞取締役会で突然、産経新聞会長職を解任された。
日枝フジテレビ社長は後ろに隠れてのクーデター成功である。このへんが策略家・日枝と言われる所以でもあろう。
そもそも羽佐間はニッポン放送の人間である。彼が編成担当役員だったときに、川内編成局長、亀淵編成部長のラインが形成された、と著者が書いているが、その羽佐間がクーデターを主導することには矛盾を感じ得ない。
もっと驚いたことに、翌年の2月には、フジテレビ社内に上場研究チームが発足している。
ただ、決定的な障害があった。当時の東証の規則では、子会社が上場するにはその親会社(20%以上の持株)の上場が必須だったのだ。
親会社の維持とフジテレビの上場、この両方を満たす策として、ニッポン放送は上場への道を開いていく、と著者はいう。
その禁じ手と言うべき選択をしたのは、ニッポン放送社長の川内通康である、と。
さらに、問題は既存株主の上位二社であるニッポン放送と文化放送で80%を超えていることだ。
二社ともを納得させる案は考えられるのか――。
ここからは一気に読んだ。しかも、カネの匂いに群がる者たちが続々と登場してくるから面白い。
著者は「ニッポン放送は上場する必要はなかった!」と書いている。
東京証券取引所は1995年11月、子会社の単独上場を可能にしたからだ。実際には、その数か月前に、ニッポン放送とフジテレビに情報が内々に持たされたいたのだという。
ニッポン放送には、上場すべき理由はひとつもない。それなのに……。
著者はこう書く。
そして1996年12月2日、ニッポン放送は東証二部に上場した。
川内は、著者の「フジテレビの上場とは関係ないのか?」との質問に、こう答えている。
「そうです。まずニッポン放送として上場していこうと」
いや違うだろう。川内は負けたのだと思う。
ニッポン放送の川内がフジテレビ日枝の軍門に下った、というのが正解だろう。
日枝という策略家の勝利だった。
人生にifはないが、ニッポン放送が違う状況を作れた可能性もある。
鹿内春雄が42歳という若さで急逝しなければ、ニッポン放送主導の上場も考えられたかもしれない。
鹿内宏明がワンマンでなく、もっと人望があったのなら、クーデターという暴挙はなかったかもしれない。
考えてみたところで、敗者の慰めにもならない。
そしてホリエモンこと、堀江貴文率いるライブドアによるニッポン放送の敵対的買収事件の顛末も、詳細に書かれている。
ニッポン放送の川内社長が辞意を表明し、後を継いだ亀淵社長の愚かさだけが強調されていた。彼は雄弁だし、能弁だったかもしれないが、経営無策だった、無能すぎる社長だ、と。
本人にまったくその自覚がないところも面白い。興味深く読んだ。
2005年7月28日、ニッポン放送が上場廃止。
2008年10月1日、ニッポン放送はフジ・メディア・ホールディングスの完全子会社となる。
すべては、あのクーデターが発端だった。
羽佐間が「亀淵を社長にしたのは失敗だった」と反省したところで、すべては後の祭りだ。
赤尾家の金に対する執着もすごかった。
だが、一番の驚きはやはりニッポン放送の推移だった。
編集者として、ニッポン放送の番組本を何冊も担当した。
「鶴光のかやくごはん」に始まり、オールナイトニッポン関係の本や「究極の選択」「10回クイズ」、ビートたけしの一連の本などなど。
私を育ててくれたニッポン放送が、このような姿になってしまったのは悲しい。
ある一人の策略家のなせる業だった。
もちろん、それだけではないのだが、フジテレビはニッポン放送の子会社であることに耐えられない。長年にわたり、屈辱でさえあったのだろう。
著者が言うように「小さなラジオ局に親会社然と振る舞われるのはシャクの種だった」のだ。
読了後、なぜか寂しさがこみあげてきた。
[BOOK DATA]
「二重らせん 欲望と喧騒のメディア」
中川一徳
単行本:講談社2019年12月10日 第一刷発行