感染列島 パンデミック・デイズ

日本が体験するつぎの戦争は、

 国や組織や人間が相手ではない。

 ウイルスだ。

「読んでから見るか、見てから読むか」ではないが、まずは映画「感染列島」を見た。2009年1月17日に公開された映画である。
この映画のキャッチコピーは「神に裁かれるのは、人間か? ウィルスか?」だ。日本で新型ウイルスの感染が広がったときの世界を描いているが、この映画公開の4か月後に新型インフルエンザが世界的に流行したというタイムリーな映画だった。
ただ、内容的には感染症対策がチープすぎて、いま見ると、パンデミックになっても仕方がないとしか思えない。これなら、1995年製作のアメリカ映画「アウトブレイク」のほうがずっといい。ダスティン・ホフマンが熱演している。

映画の話はともかく、タイトルだけタイアップした小説「感染列島 パンデミック・イブ」の話をしたい。発売は映画公開前の2008年12月18日。作者は吉村達也。いわば、映画「感染列島」のアナザーストーリーであるが、映画とはまったく違ったストーリーになっている。
吉村は2009年発売の文庫本では「感染列島 パンデミック・デイズ」と改題。文庫本あとがきにこう書いている。

〝単行本のときは「感染列島 パンデミック・イブ」だった本作品の題名を、文庫化に際して「感染列島 パンデミック・デイズ」と改めたのは、二〇〇九年四月末に発生したH1N1型豚インフルエンザがヒト―ヒト感染を引き起こし、WHOが現在のパンデミック警報基準を設定してから初めてフェーズ4を突破した現実を受けたことによる。その後、すぐにフェーズ5に至ったあと、ちょうどこのあとがきを書いている六月十一日の日本時間深夜に、WHOはフェーズ6への引き上げを決定し、マーガレット・チャン事務局長が一九六八年以来四十一年ぶりとなる新型インフルエンザの世界的大流行すなわちパンデミック宣言を行なった。
(中略)本作で取り上げている恐怖のウィルスは、鳥インフルエンザではないが、すでに新型インフルエンザの恐怖が広く知られたことから、サブタイトルを「パンデミック・デイズ」と変え、内容的にも豚インフルエンザの発生を既成の事実として取り込み、さらに、ウィルスとはいったいどのような存在であるかを明確にするため、ラスト近くで新しい場面を大幅に書き加えた。〟

長い引用となったが、ここに作家・吉村達也の特長を見ることができると思うからだ。
彼は単行本が文庫化されるとき、必ずと言っていいほど加筆修正を加えている。まったく違う小説になってしまうこともあるほどだ。プロデューサー吉村達也がそうさせている、と生前よく語っていた。

物語の登場人物は、人気作家、その恋人、大物文芸評論家、総合病院の院長、その兄の厚生労働大臣、老画商……などである。
大物評論家に作品を罵倒された人気作家は、恋人を捨ててまで新作の取材にノルウェーへ。新作のテーマは、致命的な新型ウイルスによるパンデミック。
だが、帰国直後、作家は猛スピードで死に陥る感染症状を発症。彼とウィルスの接点は、ノルウェーが生んだ有名画家エドヴァルド・ムンクの名画「叫び」だった。
医療チームは、生物の概念を超えた恐るべきウィルスの姿を捉えたが……。

いま、新型コロナウィルス感染が拡大している状況下で、本書を読むと、映画の「感染列島」どころではない驚きを覚えた。
致死率が高いから怖いのではない。逆に、致死率が低いからと言って安心してはいけない。
新型コロナウィルスの一番の怖さは、感染しても症状が現れない人がいる一方で、感染した高齢者や持病のある人は死に至る確率が高いことにあると思う。
テレビでは毎日のように、誰も経験したことがない新型ウイルスについて、無責任な発言を繰り返す輩が多くいる。これも怖いことだと思う。

そもそも「感染症」とは何か――。
石弘之著「感染症の世界史」の前書きにはこうある。

〝微生物が人や動物などの宿主(しゅくしゅ)に寄生し、そこで増殖することを「感染」といい、その結果、宿主に起こる病気を「感染症」という。「伝染病」「疫病」「流行病」の語も使われるが、現在では農業・家畜関連を除いては、公的な文書や機関名では感染症にほぼ統一された。〟

さらに、前書きからポイントとなる箇所を引用する。

〝感染症の世界的な流行は、これまで三〇~四〇年ぐらいの周期で発生してきた。だが、一九六八年の「香港かぜ」以来四〇年以上も大流行は起きていない。物理学者の寺田寅彦(一八七八年~一九三五)の名言を借りるまでもなく「忘れたころにやってくる」のだ。
地球に住むかぎり、地震や感染症から完全に逃れるすべはない。地震は地球誕生からつづく地殻変動であり、感染症は生命誕生からつづく生物進化の一環である。十四世紀のペストといい、二〇世紀初期のスペインかぜといい、感染症は人類の歴史に大きく関わってきた。今後とも影響を与えつづけるだろう。〟

この「感染症の世界史」は2014年、文庫本は2017年の発売であるが、令和2年3月20日で6刷まで増刷を重ねている。
私もやっと手に入れて、いま読み始めたところだ。帯に「緊急重版」とあり、キャッチフレーズは「新型ウイルスの発生は本書で警告されていた」である。
終章にある「感染症の巣窟になりうる中国」では、今後、感染症との激戦が予想されるのは、中国と、人類発祥地で多くの感染症の生まれ故郷であるアフリカであろう、と書いている。

〝とくに、中国はこれまでも、何度となく世界を巻き込んだパンデミックの震源地になってきた。(中略)
しかも、中国は経済力の向上にともなって国内外を盛んに動き回るようになってきた。春節前後にはのべ約三億人が国内を旅行し、年間にのべ一億人が海外に出かける。最近の十二年間で一〇倍にもふくれあがった大移動が、国内外に感染を広げる下地になっている。〟

現在では、この数字はさらに増えているに違いない。だから、今回の新型コロナウィルス感染のパンデミックを生んだといえる。
武漢で新型コロナウィルス感染が広がっているにもかかわらず、1月23日にテドロス・アダノムWHO事務局長は「緊急事態判断を保留する」と、記者会見で発表した。その後すぐに中国を訪れ、習近平と武漢ではなく、北京で会談。
ここでのテドロスの忖度が、いまのパンデミックを巻き起こした要因のひとつだ。こんな発言をしているのだから、今さらながらに驚く。

――中国政府が打ち出している政治的決心は尊敬に値する。習近平自身が自ら率先して予防対策と治療に関する指揮を行い、国を挙げて全力を注いでいるその姿は絶賛に値する。中国人民を守るだけでなく世界人民をも守ろうとするその姿勢に、WHO事務局長として感謝する。

テドロスは事務局長になる前、エチオピアの外務大臣を務めていた。そのエチオピアへの最大の投資国が中国である。このことと関連がないとは、誰も思わないだろう。
アメリカのトランプ大統領がツイッターに「チャイニーズウィルス」と書き込んでいたが、中国外務省の報道官がツイッターで「米軍が武漢にコロナウィルスを持ち込んだ可能性がある」と投稿したのには驚いた。

閑話休題――。
どうも話がそれてばかりで、我ながら嫌になる。

吉村達也の「感染列島」本は、いま読むに値する一冊だと思う。彼がいまの状況を見ていたら、おそらく「その後の感染列島」をミステリー小説に仕上げているに違いない。
ノルウェーの取材旅行に誘われていたのを断ってしまったのが、今では悔やまれてならない。

そういえば、冬の北海道バスツアーへ一緒に出かけたことがある。羽田から女満別空港に飛び、知床で流氷船に乗ったのが懐かしく思い出される。
知床で一泊したあとは、摩周湖から弟子屈を経て層雲峡までバスの旅。その夜は大雪山そばの旅館だったかな。吉村は食事もそこそこにパソコンに向かって原稿を書いていた。私はひとりで、月明かりの混浴風呂。
翌日は札幌雪まつり。ここで初めて自由行動。その夜に千歳空港から羽田へ――。超忙しい2泊3日のツアーだった。
このときの体験が「知床温泉殺人事件」としてミステリー小説になっている。ぜひ、ご一読を!

それにしても、新型コロナウィルスは高齢者にとって、とても怖い感染症だ。
2月4日に仲間と酒を飲んでからというもの、家人と二人で外食することはあるものの、ずっと自宅謹慎している。まるで、外出禁止の罰則をくらったような気分だ。
そして、東京オリンピック・パラリンピックが延期になった、とニュースが報じている。遅きに失した感は否めない。1年間の延期で本当に大丈夫なのか。極論すれば、五輪憲章にない延期をしてまで開催する必要があるのか、とも思ったりする。
現在の、商業化したオリンピックは、まさにカネと深い関係にある。本来、オリンピックが提供している名誉とか感動とかは、カネでは買えないものなのにね。

話が行ったり来たりで、新型コロナウィルスには様々なことを考えさせる力があるみたいだ。いつまでつづくか見えてこない自宅謹慎だが、ポジティブに考えるようにするしかないのか――。
我が国が感染列島になり、パンデミック・デイズを迎えないことを祈るばかりである。

[BOOK DATA]

「感染列島 パンデミック・デイズ」
吉村達也
単行本:書き下ろし。タイトルは「感染列島 パンデミック・イブ」。小学館2008年12月18日 初版第1刷発行
文庫:小学館2009年7月12日 初版第1刷