何年経とうと相方にとっては、
ツービートが自分にとっての“古巣”なのだ。
タイトルに「もうひとつの」とあるのは、すでに「浅草キッド」という本があるからだ。その本を書いたのは、ビートたけし。1988(昭和63)年1月に発売された。
それから28年後の2016(平成28)年に、本書が発売されている。著者はビートたけしの相方であったビートきよし。タイトルについて、著者本人はインタビューでこう言っている。
「歌にもなってるけど、相方の『浅草キッド』という本があって、そっちは相方目線で見た浅草芸人の姿。こっちは“ビートきよしから見たツービート”を描いた作品だから『もうひとつの浅草キッド』にしたんだよ」
どちらの本も本人は書いていない。たけしの本は構成・井上雅義、きよしのほうは構成・鈴木実、とある。
読んでみて感じるのは、きよし本はタレント本にありがちな構成だが、たけし本はツービートとしてデビューするまでの自伝的エッセイになっている。好き好きだろうが、内容の濃さはたけしの本が一枚上だろう。
だからといって、きよし本がつまらないというわけではない。この本を読むと、著者が強調しているわけでもないのに、相方あっての漫才だ、と思わされてしまうところが多くある。意外な発見がいくつもあった。
たけしとの出会いを、きよしはこう語っている。
どうやら新しいエレベーター係らしい。(中略)ほっそりとしてこぎれいで、一見まともそうに見えるそいつは、どう見てもストリップ劇場のエレベーターボーイをやるタイプには見えなかった。
「こいつ誰だろう?」
ストリップ劇場のエレベーター係といえば、普通はジイさんやバアさんといった年寄りがやるもの。何でいい若いもんがこんなことやってるんだろう?
「おはよう」
そう声をかけると、ちょっと神経質そうな顔をしたそいつは、こちらを振り返るでもなく、目線だけをこちらに向けて、ちらっと頭を下げた。
それが相方たけしとの出会いだった――。〟
たけし本には、この出会いは書かれていないが、きよしも「その頃の相方についての印象はほとんどない」と語っている。お互いに、興味の対象ではなかったということだろうか。
きよしがたけしを意識するのは、相方の初舞台が突然やってきたときだと語る。たけしの役は痴漢のコントでの“オカマ”で、自分は深見師匠の弟分として出ている、と書いているが、たけし本にはきよしが出ているとは書かれていなかった。このへんの相違は、本人が書かずにライターが書いているからかもしれない。
ちなみに、たけし本のライターである井上雅義というのは、たけしの後でフランス座に入ってきた作家志望の青年である。毎晩のようにつるんで飲み歩いていた、というような関係であった。たけしに話を聞かなくても、たけし本を書けるところがあったであろう。
だが、きよし本はいわゆるゴーストライターがインタビューして仕上げた本だ。このへんの違いが出ているように思う。二人の本を読み比べてみるのも面白いかもしれない――。
たけし本では、フランス座でのきよしとの話はあまりなくて、深見千三郎との話、踊子さんたちや浅草芸人の話が全十五章中の十三章までを占めている。一方のきよし本にはフランス座の舞台で「オレと相方の2人でコントを演るようになった」とあるから、これはこれで面白い。
きよし本から引用しよう。
そうして舞台でコンビを組むことになったオレと相方だけど、接点といえばそれだけ。特に仲が良かったわけでも悪かったわけでもなく、普通に言葉は交わしても、深い話をするわけでもない。劇場がはねたら後は別々の行動で、2人で飲みに行くこともなかった。ただコントを一緒に演じる相手。当時は“相方”なんていう意識も全然なかった。
「タケちゃん」
「兼子さん(オレの本名は兼子二郎)」
当時はお互いを、そう呼び合っていた。もっとも、名前なんかあまり呼ばれなかったような気がする。オレと相方しかいなかったんだから。
ストリップ小屋のしがいないコント芸人の2人……。
そのときはまさか、こいつと漫才コンビを組むとは夢にも思わなかった。〟
そして、きよしがフランス座へ来て2年以上が過ぎたとき、本で「危うく芸人をやめて自衛隊員になるところだった」と書いている。「オレが自衛隊に入っていたら、おそらく相方も芸人を辞めていただろう。きっと全然違う道に入っていたはずだ」と。
そのとき、きよしは浅草の松竹演芸場で全盛期のWけんじの漫才を見て、いきなり「オレも漫才をやろう!」と決意。相方に何も告げることなく、フランス座を辞めてしまう。
たけし本によると、同時期に「客席は乗りまくったオレたちのギャグでドッカン、ドッカンである」と、オレたちのコントがウケまくったと書いているが、そのコントの相手が誰かという記述はない。
そのすぐあと、たけしはフランス座に入ってきたマーキーというコメディアン志望の若いやつと組んで舞台を仕込むようになっていく。そして、ずっと考えていた秘密「古臭いコントではなく、もっとセンスのあるもの」をマーキーに話し、フランス座の屋上で密かに稽古を開始した。
ここから、たけし本は十四章「二郎と組んで漫才デビューすることになった」と続くが、次の十五章「深見千三郎はオイラにとって永遠の師匠となった」が最終章となっている。その後のツービートのことは、たけしの別の本「漫才病棟」に書かれている。
一方のきよし本は、まだ全体の6分の1が終わったところだ。次に、いよいよ「ツービートの誕生」の章となり、続いて「浅草修業時代」「テレビ下積み時代」「漫才ブーム」「それぞれのツービート」「永遠の相方」そして「ツービート対談」で終わる。とても興味深く読んだ。
「渋る相方を口説き、コンビを組んで1年――『ツービート』が誕生」までの話は、二人の本とも同じようなことが書かれている。
二人が漫才でコンビを組むためには、たけしが深見師匠に話をしなければならないが、師匠は「あんなのは芸じゃない」と漫才をまったく認めていない。
たけしが「師匠、一度外に出て勝負してみたいんですけど」と切り出すと、師匠は当然、いい顔をするわけはなかったが、しまいに「ま、辞めるのはお前の勝手だけどな」と寂しそうにつぶやいた。
このとき、たけし本には「二郎がオレの気持ちを代弁するかのように、強烈な山形ナマリでまくし立てた」とあるが、きよし本人の本にはまったく書かれていない。これも面白い。
たけしが「ちっとも代弁なんかにはなっていなかった」と書いているが、その通りだからだろうか。それとも、きよしの照れだろうか……。
漫才コンビを組んだ最初の芸名は「松鶴家二郎・次郎」。そのへんの経緯は、きよし本に詳しく書かれているが、もっと面白いのは「初期のネタ作りの担当はオレ」と、きよしが書いていることだ。しかも、そのネタが古臭く、客はクスリとも笑わない、と。
フランス座にいるより貧乏になったきよしは、コロンビア・ライト師匠に頼んで「空たかし・きよし」というコンビ名に変える。
それでも売れることはなく、たけし本にはこう書かれている。
そう気づいてからというもの、やり方を全部かえた。ネタ作りは最初からオレがやらなければいけなかったことなのだ。その日からオレはネタ作りに必死になった。〟
そして、B&Bの漫才に衝撃を受けたたけしは「向こうのネタが広島と岡山なら、こっちは東京と山形でいける」と、客を圧倒して打ち負かすような漫才をやってやるしかない、と決意するのだ。
ツービートというとんでもない漫才コンビが現れた――まず、浅草の芸人仲間で話題になるようになっていく。噂が噂を呼び、テレビにも出演するが、持ちネタがテレビでは使えない。
テレビの下積み時代の話は、きよし本に詳しい。たけしのもうひとつの本「漫才病棟」も、浅草修業時代からテレビ下積み時代までの話で構成されている。
たけしは「浅草キッド」本の巻頭に、同時期に発売された同タイトルのアルバムに収録された歌詞を載せている。引用してみよう。
煮込みしかない くじら屋で
夢を語った チューハイの
泡にはじけた 約束は
灯の消えた 浅草の
コタツ一つの アパートで
同じ背広を 初めて買った
同じ形の 蝶タイ作り
同じ靴まで 買う金は無く
いつも 笑いのネタにした
いつか売れると 信じてた
客が二人の 演芸場で
夢をたくした 一〇〇円を
投げて真面目に 拝んでる
顔にうかんだ おさなごの
むくな心に またほれて
一人たずねた アパートで
グラスかたむけ なつかしむ
そんな時代も あったねと
笑う背中が ゆれている
夢はすてたと 言わないで
他にあてなき 二人なのに
夢はすてたと 言わないで
他に道なき 二人なのに
作詞・作曲はビートたけし。昨年の「紅白歌合戦」で本人が熱唱した。
きよしの本には、揃いの衣装(スーツと赤い蝶タイ)を買った、とある。靴を買えるようになったのは、それからだいぶ後のことだった、と。
ビートたけしの才能をいち早く見抜いたのは、師匠である深見千三郎、そして相方のビートきよしである。
МANZAIブームで一躍、人気者となったツービートだったが、そのブームが去ると、ビートたけしはバラエティ番組の司会を手始めに、テレビで超人気タレントになっていった。
一方、ビートきよしは「相方とオレは個性も違うんだし、同じことをやろうたって絶対無理だ」と決めて、広い意味で“コメディアン”になりたかった、と書いている。
漫才ブームが去って2、3年経った頃、ツービートで行く久しぶりの営業が新潟であった。
営業が終わった日の宿泊先の旅館で、ビール瓶が2本と地元の名物らしい料理が並んだテーブルに、二人は浴衣姿で座った。
ここからのくだりは本を読んでほしいが、少しだけ書くと――。
酒が飲めないきよしのコップに、たけしがビールを注ぐと、静かに言う。
「きよしさん、いろいろ悪かったね」
その夜、酒の飲めないきよしも、相方と2人、ただ黙って酒を飲んだ。このとき、きよしは確実に“ツービートの時代”が終わりを告げようとしていることを感じた、と書いている。おそらく、たけしも同じ思いだったにちがいない。
読んでいるこちらも、思わず涙がこぼれた……。
きよしは末尾に、こう書いている。
相方が売れすぎてしまうのは、漫才コンビにはよくあることだ。それだけに、この「もうひとつの浅草キッド」は読むに値する本だといえる。
たけしの「悪かったね、きよしさん」という一言に、相方への思いをうかがい知ることができる。このくだりを読むことで、ツービートのことがより深く理解できたように思う。
ビートたけしが自ら書いた「フランス座」という本にも、浅草時代のことが書かれている。前に、このコラムで取り上げたが、こちらもあわせて読むといい。
いま、ビートたけしのコント、そしてツービートの漫才で笑ってみたい、と心底思う。
新型コロナウイルス感染症で志村けんが亡くなり、茫然としたのは我々も同じだ。笑うことで免疫力がアップする。大いに笑いたい――。
それにしても、この外出自粛は長いなあ。まだまだ続くのかと思うと、ため息がでるばかりだ。
政府の初動対策の失敗、そのつけは国民が負わされる。なんとも理不尽なことだ。専門者会議でいくら検討したところで、バカの一つ覚えの「三密」しか言えない。挙句の果てが「接触8割減」とまで、どこかの教授がどや顔で物申している。
たとえロックダウンができなくても、もうロックダウンと同じ状況だと思ってほしい、と言えばいいのだ。8割削減などと、わけのわからない数字を挙げるのではなく、外出はダメ、の一言ですむことだ。
ずっと家に閉じこもっているのは、健康な者にとってこんなにもつらいことだとは思いもしなかった。それでも、コロナが怖いから、家にいる。一日一度だけ、散歩か買い物かで外に出る機会があるが、誰とも話すことなく、ただただ黙々と歩いて帰ってくる日々――。
そういえば、1週間ほど前、耳鼻科の薬をもらいに大船まで出向くと、平日の昼なのに、かなりの人がいた。これには驚くより、あきれてしまった。
その土日に、湘南の海は車も人も大混雑。あーあ、である。
コロナの道路、みんなで歩けば怖くない、わけがないのだ。
[BOOK DATA]
「もうひとつの浅草キッド」
ビートきよし 著
単行本:双葉社2016年5月1日 第1刷発行
文庫本:双葉社2017年8月5日 第1刷発行