3月19日の専門家会議の資料一国の宰相の資質が国民の生命を左右することを身に染みて感じている。
昨日、緊急事態が全国で解除された。安倍首相は「日本モデルの力を示した」と、いかにも対策がうまくいったと語ったが、とんでもないことなのは誰の目にも明らかだ。
タイトルで衝動買いした「官邸コロナ敗戦」は5月2日の発売なので、肝心のことが抜けている。それは後述するが、安倍首相の「武漢コロナウイルス」対策は結果だけ見て「日本モデルの力」と判断してはいけない。
私のことを言えば、1月の段階で漠然とした「コロナ不安」を抱き、不要不急の外出を自粛した。家人が医療関係者だったこともあって、感染症には敏感過ぎたのかもしれない。
2月以降、こうした不安を取り除いてくれるどころか、さらに助長していったのは、まちがいなく安倍政権の対応だった。本書にもある「台湾の奇跡」を読むまでもなく、すべての対応が後手後手に回ってしまった。本書では、その原因を詳しく解説している。
そして、本書で触れていない「8割接触削減」がいかに無意味で不要なものだったか、京都大学大学院の藤井聡教授が明らかにしている。後に触れたいと思う。
本書「官邸コロナ敗戦」を衝動買いしたのは、サブタイトルの「親中政治家が国を滅ぼす」に目がいったわけでなく、帯に「新型ウイルスで迷走する安倍政権の内幕!」と白抜き文字で書かれていたからだ。
著者は政治記者歴30年、現在は産経新聞論説委員長の乾正人。
「はじめに 安倍官邸はなぜ敗北したのか」で、こう書いている。
同時に、新型ウイルスの存在に気付きながら情報を隠蔽し、対策が遅れに遅れた中国共産党とその支配下にある中央・地方政府の責任もまた問われなければならない。
中国共産党のトップである習近平国家主席は、二〇二〇年一月二十日になってようやく感染拡大防止の大号令をかけた。(中略)被害を中国のみならず、世界に拡大させた彼の責任は最も重い。
習近平に続く「戦犯」は、WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長である。
三月になると「パンデミック(世界的な大流行)が加速している」と強調し、「検査、検査、検査」と叫んだ彼だったが、感染者と死者が、中国にほぼ限定されていた一月の段階では、二十三日の緊急委員会で「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の発表を見送ったのである。〟
しかも、テドロス事務局長は1月28日に習近平と会談し、最大の賛辞まで送ったのだ。23日には武漢市の完全封鎖がされていたのに、である。
結果、各国のウイルス対策を遅らせてしまった。この行為は「万死に値する」と著者は強く非難している。その通りだと思う。
日本で初の感染者が発表されたのは1月16日、武漢から帰国した神奈川県在住の男性だった。
記者会見した厚労省の担当者は「人から人に感染した明確な証拠はない。感染が拡大することは考えにくいが、ゼロではないので、確認を急ぎたい」と発言したが、ここには「人人感染」の可能性を打ち消したいという思いがにじんでいた、と著者は指摘している。
21日になって安倍首相は、ようやく水際対策の徹底を指示したが、厚労省にも外務省にも、そして首相官邸にも危機感はなかったという。
そして、武漢封鎖となり、安倍首相の目は「武漢邦人救出」に向いていたが、そんな矢先の28日に局面が大きく変わった。1月8~11日、12~16日に武漢からのツアー客を乗せていたバス運転手が感染したのだ。国内初の二次感染である。
こんなツアー客が日本に数え切れぬほどいたのは確かだろう。それなのに対策をすぐに講じることなく、官邸は「武漢邦人救出作戦」で頭がいっぱいだった、と著者は書く。しかも外務省の動きは鈍く、首相が頼ったのは経済産業省出身の今井尚哉首相補佐官だった、と。
そのうえ、その後の政府の対応がずさんだったのは、記憶に新しい。この今井首相補佐官といい、前代未聞の珍品「アベノマスク」を首相に発案した佐伯(さいき)耕三首相秘書官といい、官邸には不思議なお方が多い。
このときの政府の対応はどうたったのか。
1月28日に新型コロナウイルスによる肺炎について感染症法の「指定感染症」に指定する政令を閣議決定。31日になって、湖北省に2週間以内に滞在歴がある外国人らの入国拒否を決めたが、これはWHOの緊急事態宣言を待っての措置だった。
WHOに追随しておけば問題ない、感染者が「武漢がらみ」ならあわてる必要はない――厚労省の対応が遅れたのはこの二つに集約される、と著者は分析している。
ところが、一次感染のツアー客からバス運転手へ二次感染、さらにバスガイドへと三次感染したことが1月31日に判明。この時点で、アメリカが1月末、台湾が2月上旬に中国からの入国を拒否したような対策を取っていれば、と考えたところで後の祭りである。日本の対策はなんと、3月9日になってからだ。しかも「要請」というあいまいな方法で。
その結果、1月の旧正月前後と、感染が拡大していた2月に、多くの汚染疑惑者の来日を防げなかった。2月4日から11日まで開催された「札幌雪祭り」をはじめとして、中国人観光客があちこちの観光地に行って感染を拡大していったのは明白である。
観光立国政策が裏目に出てしまった。中国依存のインバウンドがコロナ対策を遅らせてしまったとも言える。
東日本大震災で民主党政権が大失態したことを他山の石として、危機管理には自信があったはずの安倍政権だったが、今回の「武漢コロナウイルス」では初動を完全に失敗してしまったのだ。
そこへもってきて、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」問題が発生。政府は厚労省に対応を丸投げした。
そして2月13日、神奈川県内の80代の日本人女性が死亡。死後に陽性が確認される。国内初の、武漢ウイルスの死者だ。
ここから、首相官邸は迷走を始めることになる――。
政府は2月25日になって、やっと対策の基本方針を決定。厚労省だけで決めたわけではないのに、加藤厚労相が発表したが、あまりの評判の悪さに翌26日、首相がやっと前面に出た、と著者は書いている。
前日に決めた基本方針には「イベント等の開催については、現時点で全国一律の自粛要請を行うものではない」としていたが、それを一日で覆すものだった。翌二十七日の対策本部会合では全国の小中高校などで「春休みまで」休校とするよう要請した。
これは、今井補佐官が主導し、独断でまとめた対策だった。自民党への根回しがなかったばかりか、関係する閣僚にも詳細は知らされていなかった。自民党幹部からは公然と不満が続出したが、ウイルス禍の前に後手、後手にまわっていた首相官邸が、初めて反転攻勢に移った瞬間だった。
首相は二月二十九日に、武漢コロナウイルスに関する初めての記者会見を開いた。日本で初感染者が出てから実に一か月半の時間が流れていた。〟
この26日に安倍首相は「今がまさに、感染の流行を早期に終息させるために、極めて重要な時期である」「この1、2週間が感染拡大防止に極めて重要である」と語ったのは、何を根拠としていたのか不明である。
その後も矢継ぎ早の制作発表が続き、野党は「科学的な根拠は?」と問い続けたが、そんなものはあろうはずがなかった、と著者は断言。あったのは今井の献策と首相のカンだけだった、と。
3月19日の専門家会議の提言には「オーバーシュート(爆発的患者急増)が始まっていたとしても、事前にはその兆候を察知できず、気付いたときには制御できなくなってしまうというのが、この感染症対策の難しさだ」とあるが、著者は政府の想像力のなさをこう非難している。
まったくもって、その通りだと思う。著者はこの期間を「空白の四十二日間」としているが、初動を誤ってしまった真の原因は、四月に迫った中国・習近平国家主席の「国賓訪日」を予定通りに実行しようとしたことにあるのは間違いない、と断言している。習近平の訪日延期が発表された3月5日、その同じ日に中国本土からの入国制限が発表されたのは偶然ではない、と。
なぜ、習近平が令和二人目の国賓に決まったのか。著者はこう分析する。
価値観外交とは、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済といった「普遍的価値」を共有する国々と連帯、あるいは支援していこうという外交である。
この推進役として、第二次安倍政権は新設した国家安全保障局の初代局長に矢内正太郎を据えた。外交・安全保障の司令塔である。だが、「安倍一強」体制が強まるにつれ、「影の総理」と呼ばれるようになった今井首相秘書官(当時)が外交分野にも影響力を行使しはじめた。
その結果、第二次安倍政権を発足以来支えてきた首相官邸の「三本の矢」体制が崩れてしまったことで、新型コロナウイルス感染症の初動対応が遅れてしまった、と著者は指摘する。そのため、安倍外交は「親中」路線に舵を切り、その仕上げとして習近平の「国賓訪日」の決定がなされた、とも。
官邸の「三本の矢」とは、官房長官の菅義偉、首相秘書官の今井尚哉、初代国家安全保障局長の谷内正太郎である。
内政全般を菅、首相のこまごまとした日程管理と経済政策は今井、外交安全保障は谷内と、互いに牽制しながらも勢力分野を棲み分け、「三本の矢」という神輿の上に安倍晋三が乗るというバランスがとれた権力構造だった。
ところが、朝日新聞や野党が「モリ・カケ問題」での攻勢を強めた平成二十九年初頭ごろから「三本の矢」の結束が揺らぎはじめた。
今井は「モリ・カケ問題」に強い危機感を抱いていた。〟
この話は実に興味深いが、コロナ問題に話を絞ろう。少しだけ補足すると、この「モリ・カケ問題」を機に、菅と今井の間にすきま風が吹くようになったのだ。そして「菅人気」が高まるにつれ、安倍も菅に対して、誰の目にもわかる形で距離を置くようになっていく。
本書ではこのあと、野党の姿勢に疑問をぶつけ、「ウイルス関連の特別措置法を国会に提出すべきだった」と批判。このあとは、第四章・中国に擦り寄る人々、第五章「中国依存症」から脱せぬ財界、第六章・台湾はこうして「奇跡」を起こした、第七章・失敗を繰り返さぬために、おわりに・コロナ禍以前の世界にはもう戻れない、日中関係表と続いている。
「官邸コロナ敗戦」の背景を分析するには、ちょっと消化不良の面があるのは否めない。5月2日の発売を考えれば、致し方ないだろう。
安倍政権の足かせとなっていたのは、四月に迫っていた習近平国賓訪日、そして東京五輪の開催の行方だった。その間にも中国からの入国が続いていたことは、安倍政権の失敗と断言できる。
コロナ禍の元凶は中国だが、ここまで被害を拡大させたのは政治家と官庁、そして財界はもちろんのこと、メディアの責任もある。
本書には書いていないが、僕たちがコロナ鬱になった真の要因は、4月7日の安倍首相の緊急事態宣言にある。
しかし、専門家の試算では、私たち全員が努力を重ね、人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます。そうすれば、爆発的な感染者の増加を回避できるだけでなく、クラスター対策による封じ込めの可能性も出てくると考えます。その効果を見極める期間も含め、ゴールデンウイークが終わる5月6日までの1か月に限定して、7割から8割削減を目指し、外出自粛をお願いいたします。」
緊急事態宣言の4日前の4月3日、日本経済新聞に「早急に欧米に近い外出制限をしなければ、爆発的な感染者の急増(オーバーシュート)を防げない」との試算を北海道大学の西浦博教授がまとめた、という記事が掲載された。東京都では感染経路不明の患者が急増しており、現状のままでは1日数千人の感染者が出るとした。人の接触を8割減にできれば減少に転じるとしている、と。
自らを「専門家」と呼んでいる西浦教授はそもそも専門家会議のメンバーでなく、厚生労働省クラスター対策班のメンバーであるが、彼のシミュレーションを安倍首相は信じ込んでしまったのだ。
この会見以来、新聞やテレビ、ネットなどで「8割削減」が達成すべき目標となってしまった。なぜ安倍首相、小池都知事などの政治家や、厚労省の役人、そしてマスコミまで、踊らされてしまったのか。
同日、ツイッターで動画解説をした「8割おじさん」を見たとき、その上から目線の、恫喝するような物言いに違和感を覚えた。
「8割の接触削減」という言葉は数字で具体性があるように思ってしまいがちだが、これは抽象的な言葉であることに気づくはずだ。現実問題として、どうすれば8割削減できるのか、少し考えればわかることだが、行動制限として具体的に説明はできない。
これこそが諸悪の根源だった。悪魔の予言と言ってもいい。そう思わないだろうか。
京都大学大学院の藤井聡教授は5月21日、次のようにネットで発表している。【正式の回答を要請します】わたしは、西浦・尾身氏らによる「GW空けの緊急事態延長」支持は「大罪」であると考えます。以下、要約して掲載。
4月7日時点での「8割自粛削減という判断」そのものは「結果論」では責められないが、実証的事後検証は「8割自粛戦略は、無意味で不要だった」事を明らかにした。まずは、こちらのグラフをご覧下さい。
実証的事後検証では、感染者のピークは3月27日である。緊急事態宣言の10日以上も前に、新規感染者はピークアウトしていた(減少に転じていた)のだ。
ちなみに、感染症の分野では、感染者数が一旦「減少」に転じたら、(状況に大きな変化が無い限り)、感染者数は「ゼロ」になるまで減少し続けることになる、ということが知られています。したがって3月下旬以降は、特に何の取り組みをしなくても、必然的にゼロに収束する状況になっていた事を意味しているのです。
政府は、西浦教授達の提案をそのまま丸呑みする形で「8割自粛」という戦略をとったのですが、「そんな事をやらなくても感染者数は収束する」状況にあったわけで、かつ、その8割自粛によって「収束する日が早まるという効果も無かった」可能性が極めて高いということが、データによって明らかに示されたのです。
というよりむしろ、それは単に不要で無駄だっただけではなく、この8割自粛のせいで、夥しい数の事業所・労働者が苦境に陥り、倒産、失業を一気に拡大させるという実害をもたらしたのです。
すなわち、「8割自粛戦略」は、感染抑止に効果は無い(あっても薄い)のであり、次回「第二波」がやってきて「緊急事態宣言」を発令する時には、「8割自粛戦略」を軽々に採用することは厳に慎むべきである。それよりもより効果的であり、かつ、経済社会に被害が小さい対策を取ることが必要である、という教訓です(無論、そこで筆者が主張しているのは、「半自粛」の強化です)。
西浦氏・専門家委員会が「GW空けの緊急事態解除」を科学者として主張しなかったのは国家経済破壊の「大罪」である。4月下旬の時点で、緊急事態宣言は、地方都市は言うに及ばず、東京も含めて「解除」しても良かったという判断が、西浦氏以下、専門家委員会は全員下せた筈なのです!
それにも拘わらず、彼等はGW空けの時点ですら緊急事態宣言の解除を主張しなかったのです。というよりもむしろ、政府の緊急事態の延期を強く支持したのです。そこで延長延期すれば、より多くの倒産、失業が生ずることが、誰の目にも明らかだったにも拘わらずです!
私は一科学者としてここで強く断罪しますが、西浦・尾身氏らのこの時点での「緊急事態の延期支持」は絶対に科学者として許されざるものと考えます。情報が少なすぎた4月7日のとは異なり、専門家会議はGW空け時点では十分な情報を持っていたからです。
無論、全ての政治決定の責任は「政府」が追うべきものですが、この問題は、「実効再生産数」という非専門家には十分に正確に判断できない科学的知見に左右されるものである以上、政治家以上に、科学者個人、あるいは、科学者個人の「誠実性」に対して重大な責任が存在する問題であると言わざるを得ないと考えます。
藤井聡教授の発言は以上だが、これ以外にも「8割おじさん」の恫喝ともいえる発言はいくつも見受けられる。極めつけは4月15日の「行動制限なしなら42万人死亡」という西浦発言だ。人と人との接触を減らすなどの対策をまったく取らない場合、国内で約85万人が重篤になるとの試算を公表した。うち約42万人が死亡する恐れがあるという。
経済学者の池田信夫は「シミュレーションではなくフィクション」と断言している。少しだけ引用。
西浦氏の説明をよく読むと、これは「新型コロナウイルスに対して何も対策をしない丸腰だった場合の数字」だという。その根拠になったのは、武漢のデータだという。これは日本が初期の武漢のように何もしないで感染爆発したらどうなるかという計算なのだ。
これに対して官房長官は「(試算の)前提とは異なり、すでに緊急事態宣言を発出して、国民に不要不急の外出自粛など協力をお願いしている」とコメントした。西浦氏も「実際にこうなるとは思っていない」と認め、「個人的な立場で発表した試算だ」という。
西浦氏は3月19日の専門家会議の資料で「感染爆発(オーバーシュート)が起こる」というシミュレーションを発表したが、その後も爆発しなかった。
このとき想定していた基本再生産数(1人が何人に感染させるかという係数)は2.5だったが、専門家会議の実測データでは実効再生産数は1以下。このときから理論と現実が大きくずれていた。西浦氏はずっと再生産数は2.5だと主張し続けてきたが、現実には感染者数は4月上旬でピークアウトした。
要するに彼のモデルはデータを無視したお話であり、彼の「感染爆発する」という予言は外れっぱなしだった。これはシミュレーションではなくフィクションなのだ。
さらに池田信夫は、5月22日に「8割削減」という霊感商法、とまで言っている。
こんな「8割おじさん」を信じてきた安倍首相も、顧問にまでした小池都知事も、取り上げっぱなしのマスコミも、みんな猛省してほしい。
政府が「私の目標」を採択するのが当然だと豪語したり、感染者数の推移を見て「期待外れ」だと吐き捨てたりしておいて、自分の誤りを認めることもなく、爆発的な倒産や自殺者が増えたとしても、何も責任を負わない「8割おじさん」には、早く退出して、研究室に閉じこもってほしい。
外出自粛でがんばったのは、僕たち国民である。これこそ、世界に誇れる、日本モデルである。
2月24日に「これから1~2週間が、感染が急速に進むか収束できるかの瀬戸際だ」と言われて外出自粛していた僕たちは、ご苦労さんとばかりに、10万円と不要のアベノマスク2枚でジエンド。なんとも、やりきれない気持ちだけが残る。
長々と書いてしまった。読んでいただき感謝。新しい生活ばかりが持てはやされないことを祈るばかり、である。
[BOOK DATA]
「官邸コロナ敗戦」
乾 正人
単行本:ビジネス社2020年5月18日 第1刷発行