首都感染

日本国内のすべての国際空港、
さらに海外便の乗り入れのある地方空港を閉鎖してください

この小説の再読をずっとひかえていた。

いま読めば、安倍内閣の無策に腹が立つほど、チャイニーズウイルスの現状を予言しているからだ。

この本の面白さをうまく伝える自信はないが、今回のチャイニーズウイルスと比べながら見ていくことにする。

「首都感染」が刊行されたのは、2010年12月のこと。講談社100周年記念の書下ろし作品である。

そして9年後の12月、武漢で新型コロナウイルスの「人から人への」感染が発生した。12月31日になって、中国はWHO中国事務所に初めて発生の報告をしたが、中国政府が「人から人への」感染を認めたのは1月20日になってからだった。

この中国の隠ぺい体質が、今回のチャイニーズウイルス感染を全世界へ拡大してしまった一番の要因である。

「もし1月1日に情報が公表できていれば、このような多くの悲劇は起こらなかった」と武漢の医師は後に語っている。その通りだと思う。

小説の舞台は20××年、サッカー・ワールドカップ開催中の中国。なんと中国が決勝に進出して国中が盛り上がりを見せているとき、北京のスタジアムから遠く離れた雲南省で致死率60%の強毒性インフルエンザが出現。だが、中国はこの事実を隠ぺいした。

実際、2003年のSARSのときも中国はそのような対応をとったのだから、何の不思議でもない。

今回のチャイニーズウイルスでも隠ぺい体質は変わらない、と日本政府は読めなかったのか。小説と違い、あまりにも無策だった。致死率が小説のような60%でなかったことだけが救いだったが……。

小説の主人公は、元WHO感染症対策本部にいた瀬戸崎優司医師。父は総理大臣、別れた妻はWHO勤務で、彼女の父・高城は厚生労働大臣で、しかも総理と大学の同期で脳外科医、という設定だ。

あまりにもできすぎた設定と言えないでもないが、それだからといって本作品の評価が下がるわけではない。決して絵空事でない、リアルさがあるからだ。まるでノンフィクションを読んでいるように引き込まれてしまう。

政府関係者がもしこの小説を読んでいたら、今回の対処法はもっと有効なものになっていたに違いない。後手後手にまわる対策を見ていると、政治家や官僚の無能さにあきれるばかりだ。

北京ワールドカップ観戦のチャーター機が乗客250名を乗せて成田に着く。その対策会議の描写を引用してみよう。

〝「国際空港はすべて閉鎖すべきです」
高城に意見を求められた優司は言った。
当然、受け入れられる提案でないことは承知していた。しかしそうでもしなければ水際対策など出来ないというのも本音だった。
「成田、羽田、関西空港、中部空港、福岡空港、日本国内すべての国際空港、さらに海外便の乗り入れのある地方空港を閉鎖してください」
「バカを言うな。国際的な信用をなくす」
外務大臣が声を上げた。国土交通大臣も頷いている。
「いずれ、世界もそうせざるを得なくなります」
「そんなことを言うだけで大騒動が起こる。まずマスコミを抑える必要がある」
「定期的に政府情報を流せばいいことです。正確で、かつ正直なものです。現在の世界がおかれている状況が理解出来れば、国民も分かってくれるはずです」
「経済損失は計り知れないな」
立花財務大臣の言葉に視線が集まった。〟

空港閉鎖への反論が続出。しかし、優司は引かない。

〝「空港閉鎖が無理なら、中国初の航空機の受け入れ全面拒否しかありません。ウイルスの国内侵入を防ぐ最小限の手段です」
優司は断固とした口調で言い切った。
「ギクシャクしていた日中関係がやっと正常化したときだ。そんな暴挙を行うとどうなるか。想像するだけで胃が痛くなる」
「空港から一国だけを締め出すなど、国際社会からも総スカンを食うぞ。直ちに同様な措置が取られて、日本は世界から孤立する」
一斉に声が上がり始めた。そうなればいい。優司は出かかった言葉を呑み込んだ。〟

最後は、瀬戸崎総理が決断した。

「中国発の航空機という条件つきで、全国で機内検疫を実施します。内容は発熱チェックと問診。異常があった場合はその機の乗客乗員、全員ホテルに移動して、五日間様子を見てもらいます」

小説ならではの展開、と言ってしまえばそれまでだが、一国の首相は瞬時の決断力がなくてはならない。それだけは確かであろう。

そして、息子である優司の訴えを聞いて、総理はさらなる対策を講じた。

翌朝のテレビは「政府は、中国からの航空機の受け入れを日本発のチャーター便と日本の航空機に限定すると発表しました。同時に、これらの航空機の乗客に対して緊急検疫を実施すると告げています。未確認ながら、中国国内で強毒性新型インフルエンザ発生の疑いがもたれているためです……」と一斉に告げた。

当然のごとく、中国は遺憾の意を表明。日本のマスコミは批判を繰り返す事態となった。

これは日本での感染者がまだ一人も出ていないときの措置である。小説だから、と言うのは簡単だが、ワクチンも治療薬もない感染症の対策は「ウイルスを持ち込ませない」というのがもっとも有効である。

このあと、ホテルに隔離された帰国者から感染者は出るが、世界中で感染者が拡大していく中、日本国内での感染者は出ない。

さらに、すべての国際線の発着を停止。全国の公立、私立を問わず、小、中、高校を閉鎖。学生は原則、外出禁止。ただ、すべての人に外出自粛とはせず、外出時は感染予防を心がけるにとどまる。

この早すぎると思われる対応こそ、感染症対策の肝である。

実際にできるか、と言われると、即答できない。そんな決断力を持った政治家は日本にいないからだ。

今回でも、4月に予定されていた、中国の国家主席・周近平の国賓訪日を忖度しすぎるような日本政府である。小説のようにはいくはずがない。

ところが、ついに都内で感染者が出てしまう。感染ルートを解明する作業チームが立ち上がる。感染者は中国帰りではない。それなのに、なぜ? どこで水漏れが起こったのか。

このままでは、感染者が都内で広がってしまう――。

感染源は、中国大使館の一等書記官と妻、子ども二人と判明。このあたりは創作とはいえ、ありえないことではないだろう。

新たな感染者が32人となる。すべて渡航歴のない人たちだ。全員隔離して、自宅周辺50メートルを封鎖した。

ここからが、本作品の醍醐味となる「東京封鎖」の話になる。

総理と息子の会話を引用する。

〝「東京の交通をすべて止めて、現在都心にいる人たちを外に出さないし、外部からも入ってこられないようにします」
「首都機能を止めるということか」
「違います。封鎖区域を決めて、そのラインからの出入りを一切禁止します。内外をつなぐJR、私鉄、バス、道路のすべてを封鎖します。封鎖区域内では、自由な行動を許します。封鎖地区以外の住人で、帰宅出来なくなった人、さらにその逆の人のためには宿泊場所を提供します。当然、電気、ガス、水道、ゴミ処理など、生活インフラは維持します。ただ、封鎖区域外との流通は限られた場所でしか行いません」
「『新型インフルエンザ、パンデミック時における対応(注:優司が書いた論文)』の中に、大都市封鎖の項目があった。あれを東京で実践するというわけか」

優司は意外な表情をした。瀬戸崎総理も読んでいたのだ。

「東京を封鎖して、新型インフルエンザを封じ込めることが出来るとはとても思えない。まず、そんなことは不可能だ。すべての電車、地下鉄を止めても、道路はどうなる。幹線道路の封鎖は出来ても、抜け道は無数にある。それらをすべて封鎖することは不可能だ。都心封鎖などとは、気軽に口にしないほうがいい。国民が知ればパニックになる。都内を出ようとするものと、入ってくるものが殺到する。そうなると、ウイルスは数日で日本中に広がる。ささやかだが、集会や無用の外出の禁止、マスクと手洗いの励行、そういった地道な予防を続けて収束を待つばかりだ。これは、おまえが言ったことでもある」
「無理は承知の手段です。いつかは全国に感染は広がります……」〟

他地域への感染を遅らせて、その間に、新しい抗インフルエンザ薬の準備とパンデミック・ワクチンの開発を待つしかない。

実際に本書の通りの「都市封鎖」ができるかどうか――。

ぜひ、小説での展開を読んで判断してほしい。ここでは、あえて論じないことにする。

ただ、ひとつ言えるのは、いまの政府ではまず無理だ、ということだ。首相に侍る無能な官僚は考えもしないに違いない。東大卒だからといって、記憶力はすごくても、発想力と予知能力はないのだから。

あの「アベノマスク」を提案したのを見ても、感染者が再び拡大傾向にあるのに「Go Toキャンペーン」をゴリ押ししようとするのは、賢人がすることでは絶対にない。

3月23日まで、安倍総理も小池都知事も、東京オリンピックのことが一番の関心事だった。まずは、聖火を日本に運ぶ。そのためには、空港閉鎖などできるはずもない。

小説でも、終息はパンデミック・ワクチンができてからである。今回のチャイニーズウイルスも、致死率は低いものの、ウイルスの特異性は感染力の強さと無症状者の多さだけでなく、まだ確定できないことが多い。

いま、テレビのニュースで、本日(7月16日)発表された東京都の感染者数は280人を超えた、と告げている。神奈川県、千葉県、埼玉県も多い。

僕たちは、どう対処していけばいいのか――。

個人的には、1月末くらいから外出を自粛している。まるで自宅謹慎をくらった学生のように。

晴耕雨読でなく、晴読雨読の日々。テレビはつまらないから、昔のドラマを見たり、映画を見たり……。

改めて考える――。

武漢ウイルス感染者が日本で初めて確認された、と厚労省が発表したのが今年の1月16日。この男性は武漢市滞在中の1月3日から発熱し、6日に帰国後、神奈川県内の医療機関を受診。14日に陽性反応が出たが、症状が回復し15日に退院したという。

このときの厚労省の発表を読むと、本当に驚いてしまう。

家族などに肺炎の症状は出ていなくて、医療従事者の感染が確認されていないことから、厚労省では「この男性からの感染で新たな患者が出る可能性は低いと考えている」と説明。

この危機意識のなさこそ、日本の現実である。

このころ、すでに中国では武漢から感染者が国中に広がっていた。そういう情報を収集できていなかったとしたら、政府として必要な能力が欠如していると言わざるを得ない。

しかも、1月25日の春節にかけて、中国人は国内外への移動も多い。未来を予測する力もないのだろうか。この先が思いやられてならない……。

ちなみに、著者の高島哲夫は近未来のパニックを描いた作品が多い。

2001年「スピカ 原発占拠」(2010年「原発クライシス」と改題)、2003年「メルトダウン」、2004年「M8」、2005年「TSUNAMI-津波」、2008年「東京大洪水」、2010年「首都感染」、2014年「首都崩壊」、2015年「富士山噴火」、2018年「ハリケーン」など。

他の本も再読してみるつもりだ。

[BOOK DATA]

「首都感染」
高島哲夫
単行本:講談社2010年12月17日 第1刷発行
文庫本:講談社2013年11月15日 第1冊発行