「総理の夫」と「スケープゴート」

君は総理になった。これは必然だ。

 しかし、君は男性でなかった。これは偶然だ。

ここで取り上げる2冊の本「総理の夫」と「スケープゴート」は、女性総理の物語であるが、内容は全く違う。前者は、妻が総理になったときからの夫の日記形式でつづられている。後者は、民間人の大臣となった妻が、経済学者から政治家となり最後には総理大臣となるまでの物語である。

現実の世界では、安倍総理が辞任して、官房長官だった菅義偉が第99代内閣総理大臣に選ばれたばかりだ。派閥の論理で自民党総裁に選出されれば、そのまま総理の座が約束されている。

だが、小説の世界では、世論が二人の女性総理を選んだといっていい。アメリカの大統領選挙と違い、日本では国民が直接、内閣総理大臣を選ぶことはできない。常に、派閥の論理で決まる。国民の声が届くことはまず、ない。

そんな不満を解消させてくれる2冊の本だ。

「スケープゴート」の主人公、三崎皓子は51歳。金融業界から大学教授に転身し、娘を持つシングルマザーだったが、息子のいる画家と結婚。現在はテレビのコメンテイターとしても活躍している大学教授だ。

そんな皓子が、民間人として金融担当大臣に指名されたところから、物語が急ピッチで展開していく。

皓子は大臣を受けた理由を夫にこう説明する。本文から引用してみよう。

〝「私は政治家になる気はありませんから。日本ほど政治家が尊敬されない国はないしね。ただ、放っておけない思いはあったのかも。誰かがやらないといけないことだしね。思索の人は行動ができず、行動の人は思索をしない、なんて言うけど私はそんなふうにはなりたくない。それだけはいつも思ってたんです」

知らず知らずのうちに言葉に熱がこもってくる。伸明(注:夫)は気圧されたようにじっとこちらを見つめている。

「若かったころアメリカの金融界で出会った人たちは、立場が上へいけばいくほど野心的になったものよ。どんどん過激になって、強欲にもなっていったけど、少なくとも圧倒的な行動力があった。それに較べると、日本人の世界は上にいくほど事なかれ主義に陥る。保身にまわるのね。なんとか既得権にしがみつこうとするから、勇ましい改革論が独り歩きするだけで、なにひとつ変わらないし、前に進まない。そんな現実を嫌というほど見てきたわ」

皓子は、無意識のうちに身を乗り出してしゃべっている自分に気がついた。つい先日も、片づけをしていて偶然見つけた学生時代のノートの裏表紙に、若い自分の文字を見つけたのだ。〝思索の人として行動し、行動の人として思索せよ。〟フランスの哲学者アンリ=ルイ・ベルクソンのそんな言葉には、一途だった当時の青臭い自分がたしかに息づいていた。いまになってあんな言葉と再会したことも、ただの偶然ではない気がする。〟

新旧大臣の引継ぎは、分厚いバインダーの一ページ目に二人で署名するだけで終わったが、就任直後にいきなり地方銀行の取り付け騒ぎが起こる。それを見事に解決すると、すぐに参院選への出馬を要請される始末だ。

本人が固辞してきた政治家への道を進むこととなってしまった皓子だが、当選直後になんと官房長官に抜擢される。

ここから、物語は一気にクライマックスへと向かう――。

読み始めたら止まらない。ノンストップ小説だった。奇抜すぎるという指摘もあるかもしれないが、爽快感抜群のエンタテインメント小説だ。

もう一方の「総理の夫」は、42歳の若さで第111代総理大臣に選出された相馬凛子(りんこ)の夫・日和(ひより)が「ファ-スト・ジェントルマン」として妻を支える物語である。こちらは、総理大臣になったところから物語がスタートする。

菅総理が第99代だから、近未来の小説とも言えるが、内容は現在の日本そのものである。菅総理の代わりに相馬総理の登場を期待したくなってしまう。

小説としては、日記形式にしたことで、思わぬリアリティを生んでいる。夫の日和が大財閥の次男坊なのに、鳥類学者という少し浮世離れした設定も面白い。

凛子の所信表明演説を引用してみよう。

〝国民の皆さん。私たちは、今日、生まれ変わりました。

旧政権が、自らの保身と延命のために、長いあいだ私たち国民に被せ続けてきた美辞麗句に包まれた幻想を、いま、ここに脱ぎ捨てます。

「日本国民は我慢強い」「我々は辛苦を耐え忍ぶ」「苦しみを分かち合い、絆を深める」。こんな幻想の陰に隠されていた私たちほんとうの日本人の姿を、いまこそ国民ひとりひとりが意識し、世界の人々に知ってもらうチャンスです。

私たち日本人は、柔軟性のある考え方をもっています。相手を思いやる精神をもっています。その優しさと柔軟性を、いかなる悪政にも耐え、政府の言いなりになる国民なのだと旧政権はすり替え、国民が沈黙するのを利用してきました。しかし、今回の総選挙で、国民は旧政権に対してはっきりと「ノー」を突きつけたのです。沈黙を叫びに代えたのです。

今日、私たちは生まれ変わりました。まずは、そのことを国民の皆さんに意識していただきたいのです。その上で、国民ひとりひとりの暮らしを、誇りと責任を持って支えていく。それが、私が明示する、第一の約束です。〟

そして、そのポリシーが大きく五つの指針に分けて示されたのだ。

一、国民主権の再認識、旧体制からの脱却

二、社会保障の財源確保のための再増税

三、地方自治制の強化、自治システムの変革

四、少子化・雇用・経済の活性化を同一のものとした改善策の実施

五、脱原発に向けたエネルギー政策と環境政策の実施

この小説は「月刊ジョイ・ノベル」で、2011年4月号から2013年4月号まで連載された。

連載中に、東日本大震災が勃発。民主党が政権をとっていた時代である。

著者の原田マハはインタビューで、登場人物についてこう答えている。

「日和を浮世離れした鳥類研究家にしたのは自分が鳥が好きだからです。文中に出てくるコンラート・ローレンツの著作は昔から何度も読み返しています。鳥類研究家というのは夢のある仕事ですからね。日和の兄の多和 (たより)は、ソウマグローバルCEOで、日和との対比で現実に即して文句を言うようなベタなおやじという立ち位置で出しました。凛子と連立政権を組むことになる、民心党党首の原久郎 (くろう)は小沢一郎さんがモデルです。ああいう、黒幕的に暗躍する人がいたっていいじゃないですか、話は面白くなりますし。
そして、刑事コロンボ風のジャーナリスト阿部も、意外な隠れキャラとしては好きです。日和の上司である、鳥類研究所の徳田所長や富士宮あやかにもそれぞれ愛着があります。どの人物も活写できて、キャラを立てられて気に入っています」

そして、著者は「注目していただきたいのは、夫婦愛の部分。そして、女性進出の部分。長いこと女性が苦しんできた日本社会の歴史がありましたが、ようやくこういうトップが出てきて、それを支える男も出てきました。大奥の現代版みたいな感じですか(笑)。そのくらいのファンタジー性がありますが、いつの日か実現するといいですね」と語っている。

確かに、優れたリーダーは男の専売特許ではない。特に、これからの時代はそうだろう。

中国の武漢からもたらされたコロナで、2020年は思いもよらぬ年になってしまった。こういう時代だからこそ、強いリーダーシップを持っている人に日本のリーダーになってほしい、と心底思う。ただ、強いだけでなく、弱者へのまなざしを持っていることが重要だ。

そういう意味では、この小説の女性総理、相馬凛子はまさしく適任であろう。と同時に、現実の世界で女性都知事を初の女性総理にしてはいけない、と強く思った――。

「スケープゴート」は黒木瞳主演でドラマ化されている。「総理の夫」もドラマ化されていい作品だ。

そして「スケープゴート」には続編の「大暴落 ガラ 内閣総理大臣・三崎皓子」があるように、「総理の夫」もぜひ続編を望む。コロナ以後の世界を書いてほしい。「総理の娘」とか「総理の息子」とか。

2020年9月、数日後に71歳になる我が身を思うと、女性総理の誕生を目にすることはないかもしれない。

でも、昭和100年までは元気でいたいものである。そして、昭和101年を迎えたときに「お楽しみはこれからだ」と思えたら、こんな素敵な人生はない。

[BOOK DATA]

「総理の夫
原田マハ
単行本:実業之日本社2013年7月11日 初版第1刷発行
文庫本:実業之日本社2016年12月15日 初版第1刷発行

「スケープゴート
幸田真音
単行本:中央公論社2014年10月9日 初版発行
文庫本:中央公論社2017年10月25日 初版発行