気分はビートルズ

風はウエスト・コーストからウエスト・コーストに吹く

ビートルズを知ったのはいつだっただろうか、中学生のときだったと思うが、スチュワーデスをしていた従姉弟からLPをもらった。

1枚目のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を調べてみると、イギリスでの発売が1963年4月26日なので、おそらく中学2年生のことだろう。というくらい、正直なところ、すごく印象に残っていたわけではない。

ビートルズを意識しだしたのは、1966年の日本公演のときからだ。

6月29日の深夜に羽田空港に降り立った4人は、30日、1日、2日と武道館での全5回のコンサートを終えると、7月3日の午前には日本を旅立った。

7月1日の夜9時からテレビで放映されたのを見たが、すごく短かったと記憶している。調べてみたら、なんと1135分の公演だったという。

ビートルズは、コンサートで武道館へ向かう以外、ずっとホテルに缶詰め状態だった。

この5日間のビートルズを撮った写真家が、この本の著者でもある浅井愼平。幻の写真集「ビートルズ 東京 100時間のロマン」(中部日本放送刊)として残っている。

「気分はビートルズ」は、浅井愼平が1971年から75年にかけていくつかの雑誌で発表した短編を集めた本である。短いストーリーの間に、風景をはじめとしたさまざまな写真がちりばめられている。もちろん、ビートルズの写真も載っている。

ここからは敬愛する先輩を呼び捨てにできないので、浅井さんと呼ぶことにする。

本書にある三十数編の物語は、ほとんどが外国を舞台にしている。それは浅井さんがカメラマンとして行った経験をもとにしているからだ。

文章は「ぼく」という一人称で書かれているが、すべてが体験談のノンフィクションではない。絶妙に、巧妙にフィクションが加わり、とても奇妙な(?)、軽妙洒脱の短編に仕上げている。

ビートルズの写真を撮ったときのことも書かれている。引用してみよう。

ふりかえってみるとビートルズに出会ったとき、それまでに見たこともない空間に投げだされたみたいに、ただうろたえ、くらくら目まいがした。ビートルズが現われたことでぼくの世界を見る目は変わってしまった。もはやビートルズは人間ではなかった。神の子であり、悪魔っ子であった。あれから何年かしてビートルズは人間にもどったが、やっぱりあのときは神の子か悪魔っ子であったと思う。(中略)ニューヨークにいる十七歳のモデル、マギーはぼくのカメラがビートルズを撮ったと聞いて感動し、笑うのさえ固くなってしまった。ビートルズは魔法使いでさえあった。

東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)のビートルズが宿泊している1005室と同じ階の部屋で、ドアを少し開けてビートルズが出てくるのを待っていたりもした、と本人から聞いたことがある。

撮影時間がほとんど与えられず、窮余の策として、ビートルズが部屋を出たあと、すぐに部屋に入り、食卓の上やベッドなど、ビートルズが生活した空間を撮りまくった。これはすごい発想だ。

7月1日、浅井さんは二十九歳の誕生日を迎えた。

「風はウエスト・コーストからウエスト・コーストに吹く」はタイトルのひとつだが、この発想が素晴らしいと思う。短編ではこう書いている。

ぼくはカルフォルニアでマールボロを吸う。マールボロはソフト・パッケージでなくてはだめだ。(中略)ハード・パッケージではイメージが重くなってしまう。日本で売られているマールボロがハード・パッケージだけだということは、<やっぱり>って感じだ。ぼくが、マールボロを吸えば、たとえ東京にいようと風はウエスト・コーストからウエスト・コーストに吹く、って感じになるのだが、ハード・パッケージでは、せいぜい、微風が渋谷から新宿に吹くぐらいのものだ。

浅井さんと初めて会ったのは、成田空港のラウンジだった。行先は同じグァム、撮る相手も同じタレント。しかも、泊まるホテルも同じという偶然が重なった。1978年のこと。

グァムの天気が悪く、それでも撮影をするしかないのが単行本を製作している者のつらいところ。だが、雑誌のグラビア撮影できている浅井さんは、一枚の写真も撮らなかった。担当編集者はつらかったことだろう。

一日、浅井さんがガイドとなり、グァムを案内してくれた。話の引き出しが多くて、天候には恵まれなかったが、とても楽しいグァムだった。

ここから、浅井愼平さんとの長い付き合いが始まった――。

[BOOK DATA]

「気分はビートルズ」
作者:浅井慎平
単行本:立風書房1976年2月
文庫:角川書店1883年7月25日 第一刷発行