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書籍

秘伝 大道棋

本棚に、なんとも不思議なタイトルの本があった――「秘伝 大道棋」。このタイトルだけで何の本かわかる人は、かなりの将棋好きだろう。本の奥付を見ると、平成2年7月30日 第1刷発行、平成4年4月11日 第5刷発行、とある。平成4年、つまり1992年以降に買った本だ。大道棋とは、大道でやる詰将棋のことである。お客さんに詰将棋を出題して、解けたら景品を与え、間違ったら「教授料」をいただくという商売。

頬よせてホノルル

ひとりぼっちのハワイ2日間。1977年のことだ。楽しい思い出はひとつもなかった、とずっと思い込んでいた。ところが、1987年に発売された、片岡義男「頬よせてホノルル」を読んだとき、その思い出が楽しいものに変わった。その中のひとつの短編「ラハイナの赤い薔薇」に、次の文章を見つけたからだ。引用する。

ニューヨークなんて怖くない

浅井さんのことを書いていて思い出した本がある。それが、太田裕美の「ニューヨークなんて怖くない」。ところが、この本も本棚にない。家人の実家に預けてある段ボールに入っているのだろうか。自分が編集した本の中でも気に入っている一冊だけに、とたんに気になりだしてしまった。太田裕美の本を手掛けたのは、1976年発売のフォト&エッセイ「まごころ」だ。本人に書く時間などなく、ライターが原稿を書いたのだが、マネージャーが気に入らない。ほかのライターに頼む時間もお金も、余裕がない。ひょうなことから、ゴーストライターとしてデビュー(?)することになってしまった。出版社の社員だから、もちろんノーギャラ。そんな彼女がタレント活動を休止して、ニューヨークへ8ヵ月留学していたころのことを書いた「八番街51丁目より」が、第4回ニッポン放送青春文芸賞優秀賞を受賞した。

WINDS 風の絵葉書

幻の写真集「ビートルズ 東京 100時間のロマン」(中部日本放送刊)は、ある先輩に貸したが、ついに返してもらうことなく、彼は旅立ってしまった。本とお金は、人に貸したら返ってこないと思わないといけない。本棚には、浅井慎平の本、主に写真集が、何冊もある。いちばん気に入っているのは「WINDS 風の絵葉書」という写真集だ。1981年の発売。

気分はビートルズ

ビートルズを知ったのはいつだっただろうか、中学生のときだったと思うが、スチュワーデスをしていた従姉弟からLPをもらった。1枚目のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を調べてみると、イギリスでの発売が1963年4月26日なので、おそらく中学2年生のことだろう。というくらい、正直なところ、すごく印象に残っていたわけではない。ビートルズを意識しだしたのは、1966年の日本公演のときからだ。

フランス座

ある雑誌(「文藝」2019年4月増刊)で、この一文を読んだ。語っているのは、ビートたけし。この「フランス座」というのは、浅草にあったストリップ劇場。ビートたけしが芸人になりたくて、エレベーター番から始めた、と言われていたところである。著書を三冊買って、最初に読んだのは「フランス座」。一気に読んだ。出だしから、驚かされる内容である。引用しよう。

アナログ

ビートたけしの本を三冊買ったと書いたが、読んだ順番通りに挙げると、「フランス座」、「キャバレー」、「アナログ」。どれも本人が「自分で書いた」と言っている小説である。三冊を三日間で一気に読んだ。書いた時期については、本人が雑誌(「文藝」2019年4月増刊)で次のように語っている。

赤いダイヤ

大学時代はアルバイトの毎日だった。ストで学校が閉鎖されていたこともあるが、家庭教師を皮切りに、スナックで働いたこともあるし、東神奈川の駅前に立って日雇いの仕事をしたこともある。クレーン作業に必須の“玉掛け”の資格をとったのは、そのときだ。

麻雀放浪記

1969年1月、面白い小説を読んだ。阿佐田哲也の「麻雀放浪記」。『週刊大衆』というちょっとHな週刊誌での連載だった。『平凡パンチ』と違って、10代の若者が読むような週刊誌ではないのに、しかも浪人していて受験を控えている時期だというのに、どうして読んだのか。今となっては、まったく思い出せない。ただ、毎週、その週刊誌を買っていたことだけを覚えている。

青年は荒野をめざす

60年代後半から70年代にかけて、五木寛之に傾倒していった。それまでこのような小説は読んだことがなく、強烈なショックを受けたからだ。文章に引き込まれるように、ページをめくっていく自分に驚いた。「さらばモスクワ愚連隊」と同じ年に発表された「GIブルース」、翌年の「海を見ていたジョニー」、どれも読んでいると、音楽が流れ出すように感じた。不思議な気分だった。そして、翌年の3月から週刊『平凡パンチ』で連載が始まった「青年は荒野をめざす」――。