事件屋稼業

いつかまた 君らの眼を汚してやる
夜に生きる探偵としてな

本棚で一冊の古い本を見つけた。紙焼けしているし、いつバラバラになってもおかしくない。

B6版、264ページ。定価は480円。カバーには「事件屋稼業」というタイトルの下に「Trouble is my business」とあり、関川夏央&谷口ジローの作者名が並ぶ。

カバーをめくると、1ページ目にキャッチフレーズのようなセリフが書かれている。

 俺は名探偵だ
名前は深町丈太郎
ふたつ名をシャーク
喰いついたら離れない
第四次産業の古参兵だ

このセリフは誰が書いたのだろう……。

奥付を見ると、1981年5月13日初版発行とある。原作者の関川夏央は32歳になる年だから、彼が書いたのではないだろう。

ちなみに、漫画家の谷口ジローは34歳になる年。ふたりとも若い。

関川夏央と初めて会ったのは、二十歳か二十一歳のときだった。彼は上智大学生だったが、芝居の脚本・演出・主演をしていた。

その芝居に、高校時代の同級生が三人参加していたので、稽古を見に行ったのだが、内容はまったく覚えていない。

社会人になってからも、共通の友人とともに、何度か酒を飲んだ。

編集者になっていた彼に、ゴーストライターを頼んだこともある。もうすぐ半世紀近くもたつのだから、ばらしてもいいか。

ある芸人の本で、パロディを書いてもらったのだが、早くてうまかった。

三十歳を少し越えたとき、矢作俊彦と六本木の酒場に行くと、そこに関川夏央が漫画家と飲んでいた。

矢作は「なんで関川を知ってるんだ」と聞いてきた。関川も「なんで、お前が矢作といるんだ」と不思議そうな顔をしていた。

二人がどんな関係にあるのか、その当時は知る由もなかったが、いま「事件屋稼業」に書かれている文章を読むと、納得するところがある。

深町丈太郎について、ベイリー&スペンサー探偵事務所ナツオ・セキカワが報告者となっている238ページ「報告Ⅲ」の一部を引用する。

“スタイリスト ――ではある。しかし友人の若手ハードボイルド氏、T・Y君の足元にも及ばない。買い物といえば、ついイトーヨーカ堂かサム紳士服センターに足が向いてしまうし、まず何よりも人格形成期の貧しさが「メンズクラブ」を読むことを許さなかったのであろう。”

T・Y君とはもちろん、矢作俊彦のこと。

ふたりは当時から、お互いに意識しあっていたに違いない。本人がどう思おうが、いわゆるハードボイルド作家と称されていることもあり、気になる存在だったはずだ。

関川夏央は書くジャンルを変えていくが、あの頃はふたりとも、語るセリフやレトリックが印象的な作家である。

あえて言うとすると、関川夏央はアイロニーが利いたセリフがうまい、矢作俊彦は誰にも真似できないレトリックがすごい。そして、どちらも知的教養にあふれている。

そういえば、六本木で関川夏央と一緒にいた漫画家は誰だったのか。大友克洋だったか、谷口ジローだったか。いまにして思うと、みんなで一緒に飲んでいればよかった……。

前置きが長くなったが、この「事件屋稼業」は、私立探偵の深町丈太郎を主人公にしたハードボイルドだけどユーモアもある物語である。

横浜の関内にある杉本歯科医院ビル3Fに、シャーク・インベスティゲイション・オフィスを構えている。名前は立派だが、電話もひいていない。

サブタイトルに横文字で書かれている「トラブル・イズ・マイ・ビズネス」は、彼の信条でもある。本人はハードボイルドを気どっているが、そこそこできる探偵だと思っている。

第1話「クリスマスの贈り物」の出だして、深町丈太郎自身にこう語らせている。

“俺は探偵だ――
いや……カッコよく〝自由の追跡者(リバティー・チェイサー)〟と言った方がいいか
いや……もっとカッコよく〝心はさびしき狩人(アット・ハート・ア・ロンリー・ハンター)〟と言うべきか……
どっちにしろ この大都会で一匹狼ならぬ一匹コヨーテをやっていくってのは けっこうな力仕事だ”

美人の女医と離婚。一人娘のカオリは元妻と暮らしていて、いつも父親に小生意気な態度を見せるが、どこかで一人暮らしの父親を気遣っている。

そんな二人を忘れられない深町丈太郎の周りには、暴力団幹部でインテリの黒崎、粋なバーテンダーのジョー、銃のリース屋、大家にあたる杉本歯科医院の女医、気のいい悪徳警官の五島田刑事部長と子分の森山刑事など、癖のある人々が集っている。

今回は1996年から1997年にかけて発売された「事件屋稼業1~6」を再読したが、調べてみると、最初の連載が終わったのは、この1巻目にある第8話だ。そのタイトルがいい。「フェイク・エンディング」。

深町丈太郎のエンディングのセリフが決まっている。

“まだ終わったわけじゃないぜ
いつかまた 君らの眼を汚してやる
夜に生きる探偵としてな
いいかい こういうのをフェイク・エンディングってんだ
覚えといてくれ”

さらに、1巻目には特別書き下ろし「探偵SLEUTH-HOUND」というおまけが付いている。

これに「NEW STORY」と副題をつけるところが、関川夏央の粋なところでもある。

「SLEUTH-HOUND
主演:シャーク深町 演出:深町カオリ
協力:京南大付属中2年1組有志」

この映画を見たかったら、第1巻を読むしかない。洒落たエンディングだ。

関川夏央は、講談社ネットの「この10冊」の中でこう語っている。少し長くなるが、全文引用する。

“近年ヨーロッパでの日本マンガの評価はきわめて高く、とりわけ今年2月に亡くなった谷口ジローの追悼記事は仏紙「ル・モンド(電子版)」に載り、日本の新聞よりかなり大きく取り上げられました。

そこに「祖国でよりフランスで愛された作家」と書いた異国の記者に「何を生意気な」と反発心も抱きましたが、フランス国内での評価を見ると本当にそうらしいです。
’70年代後半から20年間、『「坊っちゃん」の時代』などで谷口と作品を共にしたからでしょう。私もフランスの日本マンガ専門誌からインタビューを受けました。

記者が強い関心を示した『海景酒店』は、いわゆるハードボイルド・マンガのアンソロジーで、日本ではさして注目されなかった作品です。問われたのは巻末の短編「東京式殺人」について。外国人の視点から日本のヤクザ社会を描いた作品なんですが、そのシナリオを担当したアラン・ソーモンは今どこにいるのかと尋ねられたのです。

フランスのネット上で彼は「’80年代の日本留学時、ヤクザの組での見習い経験を生かして谷口ジローにシナリオを提供、その後、筆を折った」と紹介されているそうです。

30年も経ったので「彼は私がつくった架空の人物で、シナリオも私が書いた」と真相を明かすと彼らは驚きました。そうした遊びというか「プラクティカル・ジョーク」もまた、私が谷口と共に目指したものでした。

谷口ジローはつねに新しい技法を発見しようと努力する天才でした。それまでスクリーン・トーン使いの名人として白と黒の中間色を基本にしていた彼が、「東京式殺人」では白と黒のコントラストだけで、外国人の眼に映る「日本の暴力と人間関係の不思議さ」を表現している。

この作品を1位に置いたのは、世界的作家となった彼をあらためて顕彰したいと思ったわけです。言いかえれば、日本での彼の評価に私は不満なのです。”

ここで挙げられている「海景酒店」も再読しようと、本棚を探したが、どこに埋もれてしまったのか見当たらなかった。

また機会があれば、再読してみたい一冊である。

作家となった関川夏央とは、仕事らしい仕事はしていないが、年賀状だけの付き合いが続いている。

矢作俊彦とは、もう三十年以上も会っていない。
いつか、三人で酒を酌み交わすことがあるのだろうか……。

[BOOK DATA]

「事件屋稼業」
原作:関川夏央、画:谷口ジロー
初出:「漫画ギャング」1980年1月2日号~4月16日号、「週刊漫画ゴラク」1982年~1994年12月に連載。
単行本:双葉社1981年5月13日 初版発行
「事件屋稼業1~6」双葉社1996年~1997年