あしたのジョー
週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』というマンガ週刊誌が創刊されたのは、1959年3月17日のこと。小学校4年生になる直前だが、そこから大学を卒業するまで、ずっと両誌を読んでいた。小学校のころは、貸本屋で借りて読んでいた。毎週買うようになったのは、中学生になってからだ。小説よりマンガとの付き合いのほうが、ずっと長い。いまでもマンガは大好きだ。
週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』というマンガ週刊誌が創刊されたのは、1959年3月17日のこと。小学校4年生になる直前だが、そこから大学を卒業するまで、ずっと両誌を読んでいた。小学校のころは、貸本屋で借りて読んでいた。毎週買うようになったのは、中学生になってからだ。小説よりマンガとの付き合いのほうが、ずっと長い。いまでもマンガは大好きだ。
大学時代はアルバイトの毎日だった。ストで学校が閉鎖されていたこともあるが、家庭教師を皮切りに、スナックで働いたこともあるし、東神奈川の駅前に立って日雇いの仕事をしたこともある。クレーン作業に必須の“玉掛け”の資格をとったのは、そのときだ。
1969年1月、面白い小説を読んだ。阿佐田哲也の「麻雀放浪記」。『週刊大衆』というちょっとHな週刊誌での連載だった。『平凡パンチ』と違って、10代の若者が読むような週刊誌ではないのに、しかも浪人していて受験を控えている時期だというのに、どうして読んだのか。今となっては、まったく思い出せない。ただ、毎週、その週刊誌を買っていたことだけを覚えている。
60年代後半から70年代にかけて、五木寛之に傾倒していった。それまでこのような小説は読んだことがなく、強烈なショックを受けたからだ。文章に引き込まれるように、ページをめくっていく自分に驚いた。「さらばモスクワ愚連隊」と同じ年に発表された「GIブルース」、翌年の「海を見ていたジョニー」、どれも読んでいると、音楽が流れ出すように感じた。不思議な気分だった。そして、翌年の3月から週刊『平凡パンチ』で連載が始まった「青年は荒野をめざす」――。
「さらばモスクワ愚連隊」――この小説を読んだのは高校3年生のとき、とずっと思っていた。調べてみると、それは1966年の『小説現代6月号』……それなら、高校2年生の春である。なぜ3年生のときと思い込んでいたのだろうか。記憶と事実の検証を兼ねて、ホンのおすそわけができるように、つづっていくことにする――。